『木枯し紋次郎』と『だれかが風の中で』 (1203文字)
テレビの時代劇ドラマ『木枯らし紋次郎』は、放送当時大人気でした。
無宿人(「むしゅくにん」 江戸時代に、現代の戸籍台帳と呼べる宗門人別改帳[しゅうもんにんべつあらためちょう 宗門人別帳ともいいます。「江戸時代に宗門改めと人別改めを複合し村ごとに作成して領主に提出した戸口の基礎台帳」(国史大辞典)と定義される史料で、いわば今でいう戸籍や租税台帳の役割を果たしていた帳面のことをいいます。]から名前を外された者のこと。) を主人公にしたドラマがヒットした例を他に知りません。
時代劇映画やドラマでの道中合羽に三度笠という姿は、大人数がその姿で主人公の前に現れ三度笠を投げ捨てて長ドス(「ながドス」映画やドラマでは短めの大刀のような外見ですが、反りがなく、用法としては突くことと叩くことが主でだったようです。)を抜いて主人公と「1対多数」の対決をするというシーンくらいしかなかったと思います。
つまり、道中合羽や三度笠は、そのた他大勢のやられ役を示す時代劇の記号のようなものでした。
それを主人公が身につけていて、その主人公の一生は旅だという設定は衝撃的でした。
あの主人公が被っている三度笠は大きすぎますが、そのことが他のヤクザ者の三度笠との差別化になっていて、主人公のヤクザ世界での大物感を強調していると思います。
この『木枯らし紋次郎』のヒットは、主人公の孤独さとブレない生き方、それに去りっぷりのよさ(主人公は、心が残る人や出来事があってもそれを振り切るようにまた旅を再開します。)にあると思っています。
主人公が常に長い楊枝(ようじ)をくわえているので、「子供が真似して危ない。」という苦情が相当数あったそうですが、放送局はそんな苦情を取り上げませんでした。いいか悪いかは別として、少数者が大声で自分の意見を通そうとし多数者がそれに遠慮することが多い今の時代とはだいぶ異なります。
主題歌『だれかが風の中で』は、フォークソング『風に吹かれて』と似た点があります。
双方とも、主人公の心の空洞をうめるものは風のなかにある、という願望というか空虚さを歌っています(と、思います。)。なぜ、「空虚さ」を歌っていると思うのかというと、主人公は風のなかには何もないということを知っているからです。
私はこの『木枯し紋次郎』の小説を読んだことがありますが、小説は時代ミステリというべき内容で、主人公は怜悧な(「れいし」かしこいこと。)頭脳と長ドスの腕を持ち度胸もいいし人物もできている。そんなキャラクターでした。
テレビドラマでのキャラクターと比較すると、ミステリの探偵役らしく「怜悧な頭脳」に重点を置いた設定になっています。
私は子供のころ、櫛をくわえて吹き矢のように飛ばす練習をしましたが、全然飛びませんでした。
紋次郎の真似はかなり難しいと思いました。
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