「ツアーリ」 根拠があったんだ。 (560文字)
高校生の頃、小説家故司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』読みました。
この小説の中でロシア皇帝を「ツアーリ」と呼称する記述が何度も出てきました。当時は、「ロシアをを含め昔はみな勝手に皇帝と自称していたんだろう。」くらいにしか思いませんでした。
しかし、皇帝とは王の上の位なので皇帝を勝手に名乗ると他国から非難されるんじゃないかとも思いましたが、高校生である私にはそんなことどうでもいいことで「そのうち分かる日が来るだろう。」と、この疑問は将来への課題としていました。
そんな課題などすっかり忘れていた今日この頃、モスクワ大公国の「イヴァン3世はビザンツ帝国の陥落後に、最後の皇帝コンスタンティノス11世の姪ゾエ(ソフィア)と結婚して皇帝(ツアーリ)を名乗り、ビザンツ皇帝すなわちローマの皇帝権を正統に継ぐ国を自負した。そのためモスクワは、ローマ、コンスタンティノーブルに並ぶ『第3のローマ』とよばれることがある。」(「詳説世界史研究」木村靖二、岸本美緒、小松久男著 山川出版社 p171)という記述を読みました。
モスクワ大公国は、ロシア帝国の前身です。
「日露戦争当時に皇帝(ツアーリ)と名乗ることには一応理屈がとおっていたんだ。」と高校生の頃の課題の答がでました。