The Beatles来日のころ (1543文字)
「ザ・ビートルズはThe Bealtesで、beetle(甲虫《カブトムシ・クワガタムシなど》)はスペル(spell [「つづる」)が違う。」とかなり年輩の従兄弟(いとこ。母の姉の子供)から教えられたことがあり、なんとなく覚えています。
私はビートルズ世代ではないのですが、従兄弟らはビートルズ全盛期にレコードを買っていた世代で、ビートルズやその楽曲について批判めいたことを言おうものなら「お前は何も分かっちゃいない。」と1960年代の世界情勢や社会の矛盾それに学生運動とロックの精神など随分説明されました。この経験から後々「団塊の世代は子供にも容赦しない。」と思うようになりました。
後々テレビで、「ビートルズが初来日した頃、学校からコンサートに行かないよう言われた。言ったら停学など処分が待っていると言われた。」と、その当時若者だった人が言うのをききました。
その時は「あまりにも過保護。」と思いましたが、そうではないことを私は後日知ることになります。
ビートルズが初来日したのは、1966年6月30日から7月2日までで103時間滞在したのだそうです。
ところで、ビートルズのコンサートに行かないよう学校から言われた件ですが、当時ロックは不良の音楽として疎(「うと」)まれていた(遠ざけられていた)こともありましたが、そういう会場(日本武道館)周辺にはチンピラやヤクザがまたは今で言う半グレが出没するので、親や保護者それにがっこうの先生達は心配したそうです。
ロック自体もいかがわしいと思われていましたが、それを取り巻く環境が子供が非行に引き込まれるという恐れがあったので、そこに子供を触れさせないようにしていたのだそうです。
当時の子供は今より考えが幼かったと思いますから、簡単にダマされたのでしょう。だから、大人は過剰なくらい保護しようとしたようです。
この年の6月22日には三里塚闘争(「さんりづかとうそう」新東京国際空港(通称:成田空港)の建設または存続に反対する闘争(紛争)。別名「成田闘争」(なりたとうそう))。がありましたし、日本の犯罪史上特筆すべき婦女連続殺人犯大久保清もこの時期は犯罪を重ねていた時期です。
大久保清の逮捕はもっと後だったようですが、こんな環境では、当時の日本人は自国の治安がいいとは思わなかったでしょう。
こう考えると、学校が児童生徒にビートルズのコンサートに行くのを止めるのは、普通の大人の判断だっただろうと思います。もちろん、多くの親も子供がビートルズのコンサートに行くことを許さなかったでしょう。
それとは別に、プロレスで日本人レスラーが外国人レスラーの勝つことで日本人が大喜びしていた時代ですから、外国人のバンドに日本人の若者が歓声を上げることを快く思っていなかった人は多かっただろうと思います。
これは、ビートルズが作る楽曲の高度な音楽性とは別の話です。
そういえば、あの頃成田闘争をしていた活動家のみなさんは今何をしているんでしょう。
成田闘争の頃に20代だったとして、今はもう80歳前後くらいになっているはずです。
反政府活動をするにしても足手まといになる年齢です。
また、「昔の学生運動が弾圧された厳しさは・・・。」などと若い活動家に昔話をして嫌われる年齢でもあります。
私は、ビートルズの楽曲が好きです。『開運!なんでも探偵団』や『ボクらの時代』などで耳に入ると、やはりいい曲だなあと思います。
でも、団塊の世代の方々がビートルズを「俺達の時代のバンド」と言わんばかりに語るという姿勢は鼻につきます(私の従兄弟がそうです。)。
私は、団塊の世代を好きになれません。