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「で、あるか。」 (1075文字)

 日本史上天才と呼ばれる人は二人しか聞いたことがありません。一人は源義経、もう一人は織田信長です。
 源義経は戦術に特化した天才的能力を持っていたと評価されていますが、織田信長は戦略・戦術・行政合理化・経済活性化・治安強化(後ろの三つは統治ということでひとまとめにできそうですが。)について天才的能力を発揮し、さらにそのものの考え方はイタリアのチェーザレ・ボルジアに酷似しています。
 チェーザレ・ボルジアは、1457年に生まれで1507年に亡くなっています。
 一方、織田信長は、1534年に生まれで1582年に亡くなっています。
 この二人が親族関係にあるとすると、チェーザレは信長の祖父くらいの歳の差になります。
 この二人は外見はともに美男子だったようですし、考え方は超合理主義だったようです。そして、その才能と考え方が周囲に受け入れられず、思い半ばにして死んで行きました。
 ほぼ同時代に日本とイタリアにこのような異能者が出現したことに、何かの啓示を暗示しているかのようです(信長もチェーザレも、神を信じていなかったようですが。)。

 日本の歴史小説、特に司馬遼太郎さんの作品を読んだ人の中で、織田信長に憧れた人は多いと思います。母親に好まれなかった前半生、家臣からも内心見下されていながらも、肝心要のときに能力を爆発させる姿。この男に憧れを持つ人は多いでしょう。
 ところでその信長ですが、座談がとても下手だったようです。下手というより他人と会話をする気がなかったというのが実のところなんだろうと思います。
 また、言葉を略することが多く、「そうであるか」というべきところを「であるか」と言ったりしたといいます。
 現代のようにテンポよく話しを続けなければならない時代なら、このような省略語の多様も一般的に通用するのでしょうが、戦国時代にはどうだったのでしょう。
 かつて、「MK5(えむけーふぁいぶ)」というギャル語がにありました。これは、「マジキレ5秒前」という意味だったと記憶していますが、信長ならこのような新語を面白がり実際に使用しただろうと思います。

 現代日本では、「構造改革が必要」とか「既得権益者を排除すべき」とか言われます。それは正論だと思いますが、それらをやるには反対勢力に対してかなり思いきったことをする必要があります。それをやると、きっと「独裁」とかなんとか言われるでしょう。
 もし、信長やチェーザレのような人が現れたら、反対意見など一切聞かずに実行するのでしょうが。

#織田信長 #チェーザレボルジア #創作大賞2024 #エッセイ部門
 

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