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メフィストの恩返し

1 出会い
 仕事終わりの夕方、今日は暑いから近道しようと思い、倉庫と倉庫の間の小路を歩いていると、妙な服装をした男が道に腰を下ろしていた。
 彼の服装は、ドラキュラの仮装かと思わせるような近世ヨーロッパ風の礼服でマントを付けていた。また、シルクハットを被っていて、鼻は極端な鷲鼻、意地の悪そうな目をしていた。
 私が近づいて来るのに気づくと彼は、「すまんがチョコレートを持っていないか?」と言った。
 私は、「ありますよ。」と言い、食べかけの板チョコを渡した。
 「頭が疲れたときに一欠片食べるんです。勿論、手で割って。だから、安心してください。」
 「ありがとう。空腹というわけではないのだが、ちょっと体力を使うことがあってね。エネルギー補給が必要なんだ。」
 「その服も重そうですもんね。マントも。それらを着ているだけでも体力を使いそうだ。」
 「まぁ、そうだ。この服装で格闘するとエネルギーが消耗する。」
 チョコレートを食べ終えてからそのドラキュラのような男は言った。
 「見ず知らずの私に親切にしてくれてありがとう。実は私は悪魔なのだ。名前はメフィストという。ああ、大丈夫、頭がおかしくなっているのではない。ところで、悪魔だから本来は人間と、つまり君とだね、魂の交換契約をするところなのだが、悪魔は人間に借りを作ってしまうと魂の交換とは無関係にその人間の望みを一つ叶えねければならないという義務が生じることになっている。
 普段から『魂の交換契約』で仕事をしている私だから、無論のこと義務には従わなければならない。 今回その義務が君に対して生じたわけだ。
 だから、君には何か望みを言ってもらいたい。」
 「借りといっても板チョコ半分ですからね。第一私はあたなが悪魔かどうか分かりません。私としてはこのままあなたと別れて帰りたい気持ちです。」
 メフィストと名乗るその男は、立ち上がった。
 意外に背が高い。というか足が長い。そして、今まで気がつかなかったが杖を持っている。
 「まぁ、そういう気持ちは理解できる。しかし、私も義務を履行しないと今後の仕事に差し支える。そうだ、そこの公園ですこし説明させてくれないだろうか。」
 私は困ってしまった。
 精神異常者には見えなかったが、このメフィストと一緒にいることは自分に予期せぬ事態を生じさせないとも限らない。まさかとは思うが、本当の悪魔なら自分の死後の魂の行方について心配すべきだろう。もっとも、私は西洋の悪魔について深い知識があるわけではない。この場合、西洋といってもキリスト教でいう悪魔なのだろうが。」
 でもメフィストの言葉には妙な説得力があった。私はメフィストとともに公園に行くことにした。ここまで時間を使ったから近道をした意味がなくなったなぁ、と思った。

2 契約
 その公園はかなりの広さがあり、そこで憩(いこ)う人達が何人かいた。
 メフィストは、その公園の端に置かれているベンチに腰掛けて、「ここで説明しよう。」と言った。
 私がメフィストの横に座ると、メフィストはいきなり杖を正面に突き出し声は出さずに気合いを入れた。すると、周囲は海に変わり私の座っているベンチはクルーザーの椅子になっていた。
 潮風が気持ちいい。
 水平線近くの別のクルーザーが大きな魚を吊り上げている。「バカンスか。」 そう思っていると、景色は元の公園に戻った。
 「私の力が分かったかね。説明と言いながらいきなり能力を誇示するってのはどうかと思ったが、君の疑いを晴らすには手っ取り早いと思ってね。どうだい、私に望みを話してくれる気になったかい。」
 私は、なんらかのトリックを使えば幻覚を見せることくらいできそうだ、とは思いながらもメフィストから逃れるために望みを一つ言うことにした。メフィストが悪魔だろうが悪魔でなかろうが、一緒にいたくない感じだ。
 ただ、仮にメフィストが悪魔だとして、悪魔は嘘が得意だろうし巧みな言い回しで人を騙すということも考えられる。
 「そうですね。映画の疑問を解決してほしいですね。」と言ってみた。
 「映画って観ていて途中で『あれっ?』ってところがあるので、その私の『あれっ?』を映画の中で解決して欲しいです。」
 「それはつまり、映画の原作者とか監督とか脚本家などに尋ねるってことかい?」
 「いいえそうではありません。そういう人達に尋ねると、『勘違いしていて。』とか『期限に間に合わなくなるからその矛盾は無視した。』とか『原作者と意見が合わなくて渋々そうした。』などという現実的な話になるでしょう。そうではなくて、映画そのものの中に入り込んで、映画の世界の登場人物に直接尋ねることができれば、映画世界を壊さずに私の疑問も解消されると思うのです。」
 メフィストは、「そんな一文の得にもならない希望を言われたのは初めてだ。でも、まぁそれが希望というなら叶えよう。前にも言ったが、叶える希望は一つだけだよ。その叶え方にはペテンは使わない。例えば『大金が欲しい。という希望を叶えるのに造幣局の金庫の中に送り込む。』というようなことはしない。ちゃんと映画の中に送り込み、君の疑問が解決したらまたここに戻すことにする。これでいいかな。」
 「分かりましたが、随分誠実なやり方ですね。悪魔のイメージとは違う感じがします。」
 「そう言われると困るが、これは『魂の交換契約』ではなく、借りについての返済義務の履行だからね。後々裁判になったときに困らないようにちゃんとしなくちゃならないのさ。」
 「裁判になる可能性があるのですか?」
 「それはあり得る。悪魔は人間の魂を扱うのが仕事に一つであるから、不正が介入しないよう厳しい監視の目が光っている。」
 「そうですか。
 ところで、これからどうしたらいいのでしょうか。」
 「まず、映画とその映画のシーンを特定して欲しい。すると、私は君をそこに送り込む。君はそこでそのシーンの登場人物と会話できるから、君の疑問を問いただせばいい。ただ、いくつか制限がある。まず、君は映画の結末を変更するようなことは一切できない。君がそのシーンに存在することは、そのシーンの登場人物にしか分からないし、その登場人物も君がこちらに戻り次第君との会話はすぐ忘れてしまう。だから、その後のシーンで君のことが話題にのぼることはないし、君が話したことによって登場人物の気が変わるってこともない。また、登場人物は君と会話はできるが、君に対して有形力を行使したり、反対に君が登場人物に有形力を行使するってこともできない。有形力の行使ってのは、つまり殴るとか蹴るということだ。
 さらには、登場人物は映画作品の中のことしか知らない。彼らは俳優として存在しているのではないから、映画製作の裏話というようなことは知らないし、俳優の個人情報も知らない。こういう制限があるけど、いいかね?」
 「分かりました。ところで、映画の世界から戻って来る日時や場所はどうなるんでしょうか? とんでもない未来とかとんでもない過去とかとんでもなく遠い外国に戻って来るというのでは困ります。」
 「さっきいったとおり、ペテンは使わない。君が戻って来るのは、映画の世界に行った直後になる。場所もここ。君の人間関係や社会的地位には一切変化は起こらない。ただ、君には映画の疑問が解けたという記憶が残るだけだ。もっともその登場人物が疑問を解いてくれたらだけど。」
 「分かりました。では映画とシーンを特定します。映画は『007 ドクター・ノー』。シーンは、ボンドがイギリスの総領事の秘書の家でデント博士を夜トランプ占いをして待伏せるところです。」
 「分かったが、その映画に他に似たようなシーンはないだろうね。間違えて違うシーンに送り込むことがあってはいけない。」
 「その映画に夜のシーンはいくつかありますが、トランプをしているシーンはそれしかありません。」
 「よし分かった。
 おっと、そのシーンから戻りたいときは『メフィスト戻せ!』と言ってくれ。じゃ、
 行け、ドクター・ノーの中で、夜に007がトランプをしているシーンへ!」

3  契約履行
 軽い目眩(めまい)から醒めると、目の前にボンドが拳銃を私に向けていた。
 「静かにして! もうすぐ敵がこの家に入ってくるはずだ。ここに君が来ることはついさっき聞いたよ。だが、私の仕事の邪魔はしないでくれよ。ここで銃撃戦になっても君には危害が及ばないから。」
 「分かりました。」と、私はごく小さな声で言った。
 それから家具の陰に隠れた。

 やがてデント博士が現れ、いくつかの会話の後ボンドに撃ち殺された。
 ボンドは、「出てきていいよ。終わった。敵は死んだ。」

 私はボンドの二発目の発砲のとき驚き、その拍子に家具の角で右手引っかき傷を作った。細い傷痕は赤く僅かに血が滲んだようだった。でも、デント博士の背広に空いた銃創を見た直後だったのでまったく気にならなかった。傷というには、あのように死を意識するくらい深刻なものでなければならないような気がした。
 「実際に拳銃の発砲を見たことがなかったので、すこし驚きました。」

 「ましてや人も死んだしね。君がショックを受けたのは分かるよ。
 ところで、君がここに現れたのは僕に質問があったからだろう。」

 「そういうことって、メフィストから伝わったのですか?」

 「そうだよ。こうして君と英語を介さずに会話できるのも、そのメフィストの力だよ。」

 「そうなんですか。では、さっそく質問に入ります。
 まず、ボンドさんはMI6のスパイなのに、隠密行動というか一目を憚(はばか)る行動をあまりしないですよね。ここまで堂々とやってきて、敵に待ち伏せされたりして。まぁ逆襲したからいいですけど、何かスパイのイメージが違います。」

 「そうかね。君は私がこの任務に就く前のことを知っているのかね。
 00ナンバーの諜報員は、つまり私たちだが、任務中の殺人については罪に問われないという特権を持っている。そういう特権があるとおり私たちの仕事には殺し合いが多いことが想定されている。そのため、敵に顔は知られているし、警戒もされている。現段階では誰もが知っている有名人というわけではないが、敵の諜報組織ではこちらの顔や指紋などの本人特定情報を持っているし、行動もある程度把握していると考えた方がいいだろう。
 その結果、私は秘密裏に行動することはできなくなっているのさ。そうかといって、私を諜報の一線からはずすことはできない。何しろ私は毎回MI6に大きな貢献をしているからね。
 というわけで私は、「抜き足差し足忍び足」といったことをせずにいるわけだよ。」
 「なるほど、分かりました。では、もう一つ質問させてください。ボンドさんが今使った拳銃なんですが、それ、ワルサーPPKじゃないですよね。ボンドさんはMからベレッタの代わりにワルサーPPKを使うように指示されたはずですが、どうしてですか?」
 「その質問は、映画ファンの間では随分話題になっていることだと聞いているよ。たしかにこの銃はワルサーPPKではない。ブローニングM1910だ。」
 「なぜ、支給品を使わないんですか?」
 「君は、MI6が私たちに一丁しか拳銃を支給しないと思っているのかい? そんなことはない。何丁か支給しているよ。これもその中の一丁さ。」
 「でも、Mは武器担当官のブースロイド少佐にボンドさん用の拳銃を届けさせたではないですか。」
 「君は丁寧に映画を見ているね。武器担当官の名前は映画では出ていないから、何かで調べたんだね。私たちはそういう映画ファンがいてくれて嬉しく感じるよ。ところで、たしかに私はブースロイド少佐からワルサーPPKを受けとった。でも、映画にはカットされたシーンもあるんじゃないかな。そのシーンでボローニングM1920を受けとったということもあり得る。そういう理解をしてくれないかね。」
 「分かりましたボンドさん。それにしても、デント博士を生かしておけば敵の情報を聞き出すことができたかも知れませんね。」
 「いやいや、君達日本人は、君は日本人だろ?、生きるか死ぬかという危険な場面でどう振る舞うかということに慣れていないよ。デント博士は、先ほど私が警察に引き渡した女スパイとは桁違いに危険な奴だ。たしかに情報源にはなるだろうが、奴を取り返しに敵が襲ってくることも考えられる。そうなると、地元警察では火力の点で太刀打ちできないだろう。敵が死ぬのはいいが、地元警察の警官が死ぬことはできるだけ防ぎたい。私やCIAのフェリックス・ライターがいたとしても、警官が無傷ということはないだろう。それに、私もライターも敵の妨害電波発信施設を突き止める任務がある。アメリカのロケット発射まであまり時間がないのだよ。」
 「なるほど、よく理解できました。」
 「他に質問はないのかね。」
「そうですね。この映画はヒットし、この後あなたは大スターになるのですが、こういうキャリアの作り方って俳優としてどうお考えですか?」
 「おいおい、君はメフィストから聞いていないのか。私はこの映画の中だけで生きている。だから、私はMI6の諜報員であって俳優ではない。これは映画だから俳優が私を演じているのだろうが、映画の中の私はジェームズ・ボンドなのだよ。そして、私の記憶は、この映画の中だけで完結している。仮にこの映画の続編が作られ同じ設定が維持されたとしても、私やこの映画の登場人物は、この映画を観客が見終わるとともにその人生を終える。続編では、同じジェームズ・ボンドが登場したとしてもそれは別の映画の私であって、その映画の私はその映画に必要な範囲でしかこの映画『ドクター・ノー』のことは覚えちゃいないのさ。」
 「なんか、さびしいですね。」
 「そんなことはない。元々映画というのはそういう宿命にある。この宿命は、小説などの文学でも同じだよ。その本を開くまで誰も登場人物のことを知らないし、登場人物は作者の命ずるままに考え行動するだけだ。もちろん、登場人物は精一杯に作者が求めるように努力する。でも、その努力はその本を読んでくれないと誰も分かってくれない。努力を分かってくれないだけじゃない。その存在にすら気づいてもらえないんだ。名作と言われる作品なら、評論文に書かれたり、学校の教科書にちょっとだけ掲載されたりするけど、作品を最初から最後まで読んでくれないと自分たちの仕事がちゃんと評価されたのかどうか分からないよ。
 映画も同じさ、上映が終わると私たちは次の上映まで死んだも同然になる。でも、次の上映のときには生き返る。その繰り返しなんだ。
 君の時代にはビデオとかDVDとかあるんだろ? そのビデオなどが再生されるときも、私たちは生き返ることができる。
 この刹那的な人生は、諜報員の人生と重なり合っていい和音を奏でているように思うよ。」
 「そうなんですか。ボンドさん、私は何か勘違いしていたのですね。友達とボンドさんの拳銃のこととか、女好きなことなどを噂していました。すみません。」
 「ほう、女好きね。
 そう、私はどちらかというと女好きだ。しかも美人でスタイルがいい女が好きだ。これは、刹那的ということより男性本能が前面に出ているのだと思っている。私は独身だし、ギャンブルも好きだ。クルマにもカネを掛けているし、まぁ浪費家という側面がある。女性に関しては、女スパイを相手にすることが多いが、それは敵の女スパイが美人でスタイルがいいのと、私を油断させようと色仕掛けしてくるから扱いやすいのだよ。もともと女スパイは色気という武器があるからそういう女が選ばれやすい。」
 「今のは、後々の時代では女性から総スカンされますよ。女性を道具のように描写している。」
 「そうかね。でも、それは未来の話だろう。現代、つまりこの映画で描かれている時代ではそうでもないんだ。今、この段階ではこの映画がヒットするかどうか分からないし、ヒットしなければ未来に残っているなんてこともないだろう。そうしたら、女性から総スカンされることもない。女性から総スカンされるということは、この映画がヒットしたということだから、それはそれで嬉しいことだよ。」

 ボンドの論理はそれなりに筋が通っていて、私としては納得するしかない。
 この映画の中では、ボンドは敵のアジトに忍び込むことになっている。いつまでも私とここで話し込んではいられないだろう。そう思い私はここで質問を終えることにした。
 「ありがとございました。ボンドさん。私はそろそろ戻ります。」
 「そうかね。私としてはもっと質問に答えてもいいのだが、君には君の都合があるだろうから、引き止めはしないよ。」
 「私が戻ったら、ボンドさんの記憶から私は消えるんでしょうが、任務の成功を祈っています。」
 「ありがとう。映画にはハッピーエンドもあればバッドエンドもある。私個人としてはハッピーエンドが好みなので、その言葉はうれしいよ。」
 「では。メフィスト戻せ!」

4 障害事由
 「どうだった?」
 気がつくと公園のベンチに座っていた。
 メフィストは再び言った。「どうだった?」
 「ええ、あなたに言われたとおり映画の中のジェームズ・ボンドと会話できました。突然だったので、質問が足りなかったかなと思わないでもないですが、ボンドさんの人となりがよく分かったような気がします。」
 「それはよかった。
 あれっ! 君、腕に傷があるぞ。まさか今の映画の中で負った傷じゃないだろうね?」
 「そうかもしれませんね。ボンドがデント博士に発砲するときに家具の角で引っかいたような気がします。」
 「君。まずいよそれは。」
 「どうしてです?」
 「君に恩を返すために映画の中に送り込んだのに、恩人の君を傷つけることになってしまった。これでは、恩返しにならない。これは困ったことになった。」
 「しかし、この傷は私の不注意ですから、メフィストさんには何の責任もないでしょ。」
 「そうではないのだ。私は映画の中の君を万全の体制で保護しなければならなかったのだ。だから、デント博士は君に気付かずボンドだと思ってベッドの上に発砲したし、第一ボンドは君を不審に思わなかっただろう?」
 「それはそうですが、ではどうしますか?」
 「これは、一種の危険負担の問題になる。 君は私にチョコレートをくれた。そのチョコレートは品質に問題のない完全なものだった。なのに、その代わりに私が君にした行為で君は傷を負ってしまった。つまり完全な恩返しをすることができなかった。これは私の責任問題になる。」
 「でも、私は損害賠償を請求しませんよ。」
 「その気持ちはありがたいが、この問題は私の行いが正しいかどうか、つまり過失がなかったかどうかが焦点になる。君が映画の中で無傷でいるようにするという私の義務はかなり重い。仮に君に過失があったとしてもそのことで私が免責されるというわけにはいかない。
 こうなっては、じたばたしても仕方がない。黙って裁きを待とう。
 後は私の問題だ、君は帰りなさい。チョコレートをどうもありがとう。」
 そういうと、メフィストの姿は少しずつ薄くなって行き、数秒ほどで消えてしまった。
 
5 契約終了
 「これでいいのだろうか?」と私は思った。
 映画の世界に行ってきたことは幻想とか幻聴で片付けられるとしても、メフィストに出会い、会話し、別れたということは、はっきりしている。なにしろ、食べかけのチョコレートがなくなっている。そのチョコレートは外国製で友人から貰ったものだから、捨てるはずはないし、リックのファスナー付きのポケットに入れていたから落としたとも思われない。
 私はどうしたらいいのか困った。
 この場合の「どうしたら」というのは、「頭の中をどう整理したら」ということであった。メフィストと名乗るあの男が本当に責任を追求されたのかどうかは分からないし、私にはどうすることもできない。そもそも悪魔なのに誰にどう責任を追求されるのだろう。魔王の前で審判でも受けるのだろうか。
 いや、今はそのことは置いておこう。
 そう考えているうちに自宅であるアパートに帰った。
 私の部屋は二階の角部屋で静かである。もっとも、このアパートの住人も、この地域に住んでいる人もみな静かに生活していて、騒音というものがほとんどない。

 夜になった。
 私はまだメフィストのことを考えていた。
 鷲鼻でチョコレートが好きでシルクハットを被り、杖を持ち魔力を使う。
 こりゃ子供頃読んだ漫画に出てくる悪魔そっくりだ。でも、私はソロモンの笛を持っていないから、言うことを聞かせられないなぁ。などと考えていると、のそっとメフィストが現れた。消えたときとは違い、ゆっくりとではなくいきなりであった。
 「メフィスト。どうしたんだ? なぜここへ?」
 「いやぁ、失礼。今回の失敗についての裁きが出たので、関係者でもある君にも伝えておかないとと思って。」
 「私は関係者なのかい? どっちかというと当事者じゃないかと思っていたのだが。」
 「いや、それはない。公園でも言ったが、これは私の過失の問題だ。交通事故で例えれば自損事故みたいなもんだ。だから当事者は私一人だ。ところで、さっきまで地獄で魔王の前で審判を受けていた。」
 「やっぱり魔王が裁判官だったんだ。 それにしても裁判じゃなくて審判なんだ。」
 「おやっ、想像していたのか。いい勘している。そうなんだ、ここでは審判も裁判も同じものと思ってくれ。で、審判の結果は、君の望みをもう一つ叶えることで今回の過失はなかったことにしてくれるそうだ。次の望みを叶えるについては絶対に君を保護するよう強く言い渡された。当然だな。私もそう思う。」
 「げっ! 次の望みっていっても、どうすりゃいいんだい?」
 「なに、望みといっても何でも自由というわけじゃない。前回の望みと同種のものに限定される。つまり、また映画の中に入るってことになる。また『ドクター・ノー』でもいいし、別の映画でもいい。自由なのはどの映画にするかという点だけだ。」
 「もし、もう嫌だといったらどうなるの?」
 「そうなると、私は自分の過失の責任を改めて問われることになる。悪魔の不義理は重い罪になる。だいたいこんな過失を犯すようなヘマをしでかす悪魔などいないから、前例がない。だからどれほど重い罪になるかは予想できない。私としては、君に『嫌だ。』とは言って欲しくない。」
 「分かった。『ドクター・ノー』の件はとても参考になったから、『嫌だ。』とは言わないよ。でも、次の映画を選ぶのって少し時間が掛かりそうだけどいいかい?」
 「いいけど、あんまりゆっくりはできないぞ。魔王は悪魔をあんまり信用していないから、次の望みを叶えるまでに時間が掛かると、私にその気がないと判断していきなり重い罪を課すということがあり得る。そうはなりたくない。」
 「分かった。いつまでにどの映画にするか決めたらいい?」
 「そう、人間界の時間でいうと、明日の午前10時かな。明日は土曜日だが、予定はあるのか?」
 「いやない。仕事は週休二日だから土曜日も日曜日も仕事はない。
 それはそうと、漫画によるとメフィストってソロモンの笛に弱いんだよね。」
 「おいおい、滅多なことは言うもんじゃない。ここにソロモンの笛があるってんじゃないだろうな。チョコレートの恩があるとはいえ、君の専属悪魔になるのは困る。それに、私は君に危害を加えるつもりはないし、今までも加えていないだろ。ただ、望みを叶える過程で少々注意が足りなかっただけだ。今回は、魂と望みとの交換契約じゃないことを忘れないように。」
 「分かった。明日の10時までにどの映画がいいか選んでおくよ。」
 「では、明日の10時にまた来る。」
 とういうとメフィストは消えてしまった。審判という心の重荷がないせいか、今回はパッと消えた。

 その夜遅くまで寝付けなかった。どの映画がいいか選びかねていたのでる。
 そもそも私は映画は好きだが、お笑いも好きだし、ミステリ小説も歴史小説も好きである。映画大好きという映画マニアならいろいろな視点から登場人物に質問すべき映画を選出できるのだろうが、単なる映画好きとしては高度な選択術を駆使することなどできやしない。
 そもそも、映画の最初から最後まで頭の中で再生できそうな映画は数本しかない。その数本の中には邦画が何本か入っている。邦画は邦画なりに質問したいことはあるが、できれば洋画の方がいいように思った。外国には行ったことがないので、いろいろな意味で興味があるのである。
 メフィストは、映画の世界に送り込んだ後、私の安全には万全を尽くしてくれそうだが、私は私で映画の中の登場人物に質問しなければならない。これはこれで一つの対決と言える。つまらない質問をすると相手に小バカにされそうだし、かといって映画世界を超える質問をすると相手が答えられないわけで、それはそれで相手に対して申し訳ない気がする。
 ボンドは英国紳士的に振る舞ってくれたけど、これがアメリカの荒くれ者だったらどんな言葉を投げ掛けられるか分かったものじゃないし、その言葉でこっちが酷く傷つけられるかもしれない。そういう場合、きっとメフィストは私を保護してはくれないだろう。映画の登場人物との会話がどういうことになろうとも、それは私の望みの内容になるのであるから、メフィストが干渉することはできなさそうな気がする。
 ニュートンかライプニッツの映画があれば、微積分について質問できるだろうが、そうなったらなったで私の理解が追いつけそうにない。何しろ二人とも数学史に残る偉人なのだ。数学に未熟な私の質問で彼らの数学の仕事の邪魔をするのは忍びない。
 恋愛映画は、はじめから候補に入れない。恋愛映画は苦手だ。というか恋愛が苦手だ。
 スプラッタームービーは、怖くて嫌だ。作り物じゃない現場で血飛沫が飛び散る様を見るなんて堪えられない。こういうとき、映画の世界に入るということの負の面を思い知らされる。

 窓の外が白々となってくるころ、私は眠りについた。

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