映画 『漫才協会THE MOVIE 舞台の上の懲りない面々』 (1506文字)
もう3月も下旬ですが、今日『漫才協会THE MOVIE』(以下『漫協MOVIE』といいます。)を観てきました。映画は3月1日から公開されていましたので、それからみたら観に行くには遅いのですが、行こうと思い立ったのが数日前ですからこれは仕方ありませんね。
『漫協MOVIE』は、漫才教会だけにギャグ映画かなと思いきや舞台人のドキュメンタリーです。既知のコンビもいれば初見のコンビもいて、楽屋やお住まいでの芸人さんへのインタビューなど観たことのない姿を観ることができました。
私も仕事で講演をすることがあったので、出番前の緊張とか出番前に控室で講演内容のリハーサルをやってみるなど共感する部分が多くなつかしい感じがしました。
反面、電車事故で右腕を失いながら舞台復帰を目指す姿とか、年下の相方にお迎えが来てしまいショックを受けながらもピン芸人として舞台に立つ芸人さんの姿は、私のように仕事の一部として演題に立つのとは違い、「舞台への執念」のようなものを感じました。
映画の中のインタビュー中に、「『ダメなのねー、ダメなのよー』」の・・・。」とある芸人さんを説明するシーンがありました。その芸人さんの名前は語られませんでしたが、おそらくストレートコンビだと思います。持ちギャグとしてほかに「千葉の女が乳しぼり」がありました。
なんてことも思い出しました。
私は、内海桂子・好江という漫才師が好きでした。
この親子ほども歳の違うコンビは、私がテレビで観たときにはすでに高齢の桂子の方が一歩引き年少の好江が前に出てネタを引っ張る芸風でしたので、桂子師匠が大ベテランだったといことと、好江が睡眠薬の多量摂取で自殺を図ったことしか予備知識がありませんでした。
好江師匠も好江師匠も既に他界されています。
映画中にその桂子師匠の話がありました。
漫才中で、
桂子「あんた子供がいないくせに、そんなこと言うんじゃありまえんよ。」というのに対して
好江「そういうあんたは子供はいるけど、みんな父親が違うじゃないの。中には父親が分からなくて困ったって子も・・・。」と返したことがありました。
桂子師匠の夫が「あの舞台の後桂子は凄く喜んでいて、『これで好江と掛け合いができる。』と言っていました。」とこたえていたのを聞き、テレビ『驚き桃の木20世紀』で内海桂子・好江を特集したときのことを思い出しました。その番組中でも、舞台で好江が桂子に「もう、君の時代は去ったよ。」と言い捨てる場面があり、凄い喝采を受けていました。それまでは、桂子が好江をいびっていたという印象だったので(実際は好江を鍛えていたようです。)、「好江の反撃が始まった。」という喝采だったのでしょう。
たしか、紫綬褒章受賞のパーティーで、好江が桂子に「おねえさん、今まで育ててくれてありがとう。」と言うシーンでもらい泣きした覚えがあります。
なお、私は「剥ぎれよく、スムーズに、大きな声で、『えー、あー』という喋り癖なく」喋るようにしていますが、これは漫才の内海桂子・好江と奇術師のアダチ龍光さんを手本にしています。これは、講演も普段も同じです。
(アダチ龍光さんについては、1971(昭和46)年に昭和天皇の古希祝いとして皇居で記述を披露したということが記憶に残っています。親類の老人が「陛下の御前で奇術を披露したんだから凄い。」とずっと言っていました。私も「凄い奇術師だった。」と記憶しています。)
『漫協MOVIE』は、大人数の前で喋ったことがある人も、そうでない人も、参考になる面白い映画だと思います。
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