令和7年1月現在の日本の悪役 (1924文字)
令和7年1月現在、日本国で悪役(悪人とは違います。)となっている人は(個人的な感想ですが)、フジサンケイグループ代表の日枝久氏と、元兵庫県知事の井戸敏三氏の二人だと思います。
他にも政治家、実業家、芸能人、プロスポーツ関係者それにマスコミ関係者などいろいろな分野に悪役となっている人がいるかと思いますが、ここでは私の主観で上記のお二人としたいと思います。
日枝さんは、1937年12月31日生まれですから、今年88歳におなりになります。
日枝さんは、1961年にフジテレビジョンに入社し、
① 労働組合の結成に奔走し、書記長に就任。25歳定年制だった女性社員の待遇改善を組合結成の重要な大義とした。
② 代表取締役副社長に就任した鹿内春雄の抜擢で、42歳の若さで1980年5月に編成局長に就任。鹿内春雄との二人三脚でフジテレビの黄金時代をけん引した。
③ 1983年6月に取締役編成局長、1986年6月に常務取締役総合開発室担当に就任。鹿内春雄の急逝から2か月後の1988年6月、代表取締役社長に昇任。④ 1992年7月、羽佐間重彰らとともに鹿内宏明を追放し、フジサンケイグループのガバナンスを正常化。
⑤ 1997年8月8日にはフジテレビを東証一部に上場させ、パブリック・カンパニー化を実現。
⑥ 2001年6月、フジテレビジョンの代表取締役会長兼CEOに就任。
⑦ 2003年4月からは日本民間放送連盟会長を務めました。
⑧ 2008年10月1日、フジサンケイグループの事業持株会社となっていたフジテレビジョンを認定放送持株会社に移行させ、商号を「株式会社フジ・メディア・ホールディングス」に変更した。同日付で設立された事業会社「株式会社フジテレビジョン」の初代代表取締役会長兼CEOに就任しました。
⑨ 2017年6月、フジ・メディア・ホールディングス代表取締役会長兼CEO、フジテレビジョン代表取締役会長兼CEOを退き、両社の取締役相談役に就任しました。
という怱々たる経歴の持ち主であり、現在のフジテレビの凋落ぶりには「自分の人生はなんだったんだろう」と気を落としているかと思います(これは私の想像です。)。
一方井戸敏三さんは、
知事に就任した当時、兵庫県は阪神・淡路大震災の復旧・復興にかけた16兆3千億円のうち1兆3千億円を県債で賄ったため、当初から厳しい財政運営を余儀なくされていました。「改革の断行なくして兵庫の再生はない」を合言葉に、2008年度に新行革プランを策定。膨大な負債を抱えた県財政の再建に向け、井戸県政では職員数の3割削減・給与カットや助成事業費削減などの行財政改革を11年間続け、2018年度決算では震災後初めて基金の取り崩しや借金をせずに「収支均衡」を達成。19年度決算では県債残高を3,229億円まで減らしました。
また、井戸県政の震災復興について、兵庫県立大学大学院の室崎益輝教授は「借り上げ復興住宅の退去問題などで対応がやや不十分な面もあったが、被災者復興支援会議で声をくみ上げて政策化する仕組みをつくり、兵庫の取り組みを全国に伝えるなど大きな役割を果たした」と評したことがあります。
2010年には井戸が主導する形で兵庫や大阪など2府5県による関西広域連合が発足し、初代連合長に就任。翌年の東日本大震災では広域連合長として被災した県に対しそれぞれ支援する府県を割り当てる「カウンターパート方式」を提案し導入させ、その後の熊本地震や西日本豪雨でも生かされました。
(日枝久さんと井戸敏三さんのお二人の経歴はWikipediaから引用。)
こうしてみるとお二人とも公式には「有能で社会的にも立派なリーダー」であり、悪役として非難される理由はないように思われます。
もっとも、偉人伝などはその人のいい点だけを取り上げ、影の部分には言及しないものですから、Wikipediaの情報だけでは不足なのかも知れません。
ただ、お二人を非難するなら、ムードや雰囲気に流されずに、お二人が過去に「いいこともやったことがある。」ということを踏まえる必要があると思います。
私は、フジテレビは特定アジアの国の宣伝媒体になっていると思いますし、兵庫県は現斎藤知事の前任の知事の食い物にされていたと思っています(これは疑惑です。)。
だから、彼らにはこれらの疑いを払拭する説明を求めたいと思っていますが、国会などに呼ばれた場合にはおそらく病気と高齢を理由に出てこないだろうと思います。
正月番組で爆笑問題の太田さんが「日枝、出てこい!」と叫んでいましたが、おそらく病気と高齢を理由に出てこないでしょう。