サヴォナローラ、『薔薇の名前』の世界観 (1248文字)
中学か高校の頃に読んだ本で、今でも思い出すと恐ろしくなるのが『敗者の条件』(会田雄次著)の中の「最後の賭をためらう者(サヴォナローラ)」です。
この本には、日本史・世界史の歴史上の人物の最期が書かれています。中でもサヴォナローラは15世紀のフィレンツェを独裁的に支配していたドミニコ派の修道僧で、最終的には焚殺(ふんさつ)されます。(以下に同所の内容を意訳します。)
舞台は、ルネサンスの華やかな時代の先頭を切り、全欧州文化の指導的な役割を果たしていたフィレンツェです。
そんなフィレンツェですが、1492年にメディチ家のロレンツォ大公が死ぬと急激な没落がおそってきました。はじめは、フランス王シャルル8世の大群の襲来に対する征服。シャルル8世が去ると、市民はロレンツォの子を追い出し(戦わずにシャルル8世に屈服したから。)、新しい民主制を布(し)きました。
このとき、主導権を握ったのがシャルル8世の襲来を予言したというドミニコ派の修道僧で神がかり的性格を強く持つサヴォナローラでした。
サヴォナローラは、フィレンツェに予言による宗教政治をしいていきます。
以後、フィレンツェは、サヴォナローラの口から伝えられる「神の意志」によってすべてが行われていきます。
そのうち、フィレンツェ市民の宗教的熱狂は収まり、すぐにサヴォナローラを呪い出しました。
そんな中、サヴォナローラを出したドミニコ派のサン・マルコ修道院の勢威に嫉妬したフランチェスコ派の僧侶達は法王庁と結び、サヴォナローラに「探火の秘蹟」を勝負をいどみました。これは、修道僧の決闘の一種で、炎の中をくぐりぬけ、無事だった方が神によって正しいとされます。
それからいろいろありましたが、結局サヴォナローラは四肢に釘を打たれて焚殺(ふんさつ)されました。
以上のことはそれ自体恐ろしさがありますが、思春期の私が恐怖したのはフィレンツェ市民の行動です。
そもそも、予言したという人物にリーダーとしての能力を見出だした(と信じて)と熱狂し、その熱狂がおさまるとすぐ見放す。しかも、サヴォナローラの焚殺のときは、多くの市民が見物していたそうです。当時は娯楽の一種だったのでしょう。
民衆というものがこれほど軽薄で残酷なものであるなら、民主主義の成立ってその根拠自体幻想じゃないのか。こういう疑念が湧き、まだ成長期だった私は怖くなりました。
それからかなりして、映画『薔薇の名前』を見たとき、サヴォナローラのフィレンツェを思いだし、怖くて映画から目が離せなくなりました。
映画で再現されている世界観も殺人事件もグロテスクでした。
映画の舞台は14世紀の北イタリアです。
一方フィレンツェはイタリア中部にあり、サヴォナローラが焚殺されたのは15世紀です。
時代も場所も微妙に違いますが、現代日本から見ればそんな仔細なことは問題になりません。
怖いものは怖いのです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?