勝手にやって来る多種多様な情報への対峙(「たいじ」向きあって立つこと。) (2412文字)
現代は、SNS(「エスエヌエス」Social Networking Service(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の略。)により好むと好まざるとに関わりなく多種多様な情報がやって来ます。
その分量が多すぎるので、整理したいと思っても何が重要で何が重要でないのか判断できませんし、情報整理に時間を使っていると自分のしたいことができなくなります。
かつての情報取得先は、新聞・テレビ・ラジオ・週刊誌(以下「オールドメディア」といいます。)などおおむね決まっていたのと、それらオールド・メディアの情報はほぼ同じ内容だったので、取捨選択する必要もありませんでした(週刊誌がスクープ(scoop 特ダネ。)を出しても、他のメディアがそれに追随するということが多く。長期的に見ると結局同じ情報を発信していました。)。
このような多様性のない提供先から入ってくる情報しか取得できない環境というのは、メディアに操作されていた情報環境だったと言えます。
現在は、前述のようにオールド・メディア以外からもいろいろな情報取得が可能で、しかもその情報は内容の複写、偏向、発信者の主観による改竄(かいざん)、虚偽、妄想等により「どれが正しいのか」分からないものが多いです(このことは、オールド・メディアも同様だったのですが、私たちはそのことに気づきませんでしたし、そういう情報の質についての情報が入ってきませんでした。)。
情報が少ないより多い方が選択の幅が広がるわけなので好ましいと言えますが、多すぎる料理が掲載されているメニューを見ても何を選択すべきか困惑するように、多すぎる情報も「困惑の種にしかならない」と感じないではありません。
私は、ラジオは「作業時用の音源装置」と考え、内容を重視したり、情報の取得先とは考えないようにしています。ごく稀に、初めて聴く楽曲で「この曲いいな」と思ったものの曲名とかシンガー(singer 歌手)やバンドの名前を情報として取得するだけです。
新聞は、朝刊だけ購読していますが、私は天気とテレビ欄を見るくらいしか使っていません。
妻は内容を読んでいるようなので、今のところ購読を止めようとは思っていませんが、その新聞が廃刊になったらそれで新聞とはお別れしようと思っています。
テレビは、映画と海外ミステリドラマとお笑いバラエティー番組等の録画用として使っているだけです。
「さすがにテレビでも、事件や事故の事実報道は取材内容に手を加えないだろう。」と思っているので、事件や事故の①発生日時、②被害内容、③警察や関係官庁の対応の情報入手先としています。
現場からの事件現場や災害現場からの記者やレポーターの報告や実況等は、「それはあなたのお気持ちでしょ。」と思うので無視します。
かつてあった松本サリン事件(注1、注2)のときのように、メディアが容疑者扱いしていた人がまったく無実だった(それどころか被害者であった。)ということがあったので、テレビ関係者の判断などまったく信用しません(ワイドショー等の内容は全部信用していません。)。
(注1)松本サリン事件(まつもとサリンじけん)は、1994年(平成6年)6月27日に長野県松本市でオウム真理教により引き起こされテロ事件。オウム真理教教徒らにより、神経ガスのサリンが散布された。
(注2)サリン 「(注1)」のとおり神経ガスです。
殺傷能力が非常に強く、吸収した量によっては数分で症状が現れます。また、呼吸器系からだけでなく皮膚からも吸収されるため、ガスマスクだけではなく対応する防護服を着用しなければ防護できません。また、衣服や身体等に付着したサリンが再度気化し、二次被害を生じさせる場合があります。
SNSは、長期間視聴していて、なんとなく信用できそうなユーチューバーの発する情報は「とりあえず事実とする」グループに置きます。
私の情報分類は、「とりあえず事実とする」、「おそらく事実っぽい感じ」で、情報を大きく二つに分けて頭の中に入れておきます。
頭の中には、他にも格納しておかなければならないことがたくさんあるので、自分や家族の安全に関わるもの以外はどんどん消していきます。
なお、テレビや新聞から入ってくる情報は、この情報分類に入らないので、自然に消えていきます。
私は、テレビから入ってくる情報い対する扱いは極めて軽いので、選挙特番で爆笑問題の太田光さんが政治家に何を言おうとまったく気になりません。
問題があるのであれば、爆笑問題の所属する芸能事務所(タイタン)とTBSと当該政治家との間で解決してもらえばいいだけであって、「太田 選挙特番で暴言して大炎上」とかいうサムネのYouTube動画にはまったく関心を持ちません。
商業メディアの収益手法では、「提供情報に興味を持たせる。」というのが絶対条件になります。
だから、例えばワイドショーの司会者に婚外子がいたことが発覚した場合、「私生活の素行的に問題がある者をテレビに出演させることはどうだろうという倫理的判断よりも、視聴者が「そんなゲスな奴がどんな顔で人前に出て偉そうなことを言うのか見てやろう。」という動機で視聴者数が増えることの可能性を重視します。
そんなメディアの不正確で恣意的な報道番組(「報道」というと、社会正義の仮面を被れるのでしょうね。)なんか観て、貴重な時間を使うのは人生の無駄遣いだと考えます。
情報はその受け手によって価値が異なるので、「自分の好きに情報の入手先を選び、入手した情報で本当に重要だと思うものだけ大事にする。」ようにしています。
なお、私は昨日(20241027(日)の午後8時以降は、YouTubeで選挙結果を茶化すようなYouTube動画(東野幸治、高橋洋一出演)をちょっと観て寝ました。