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映画『コンフィデンス』 原案を作るとき

 映画『コンフィデンス』(confidence 信頼、信用)は、集団詐欺の映画です。冒頭から主人公が死んだ後の独白という形で今までの経緯が語られます。

 私は、レイチェル・ワイズが好きなので(私は、はっきりした顔立ちの女性を好みます。)観ていて、「この映画の原案を書いた人は、どういう風に書いたのだろう。」と思いました。
 この映画は上記のとおり集団詐欺の物語ですから、映画会社からは映画自体にも観客を欺く内容を含むように作るよう求められるでしょう。
 そうなると、物語上のカモに対するトリックと、観客に対するトリックを二重に考えなければなりません。

 そういえば、邦画の『キサラギ』について、「後から『実は〇〇は、🔲🔲だった。』というやり方は、シナリオの作り方として安易だ。」と歌手のウタマルさんが批判していたのを聞き、驚いたことがあります。映画を観ていると、上手に伏線が回収されているとか意外な展開がうまく収束させていると思い感心していたのに。
 この批評の仕方を応用すると、『コンフィデンス』も、作り方が安易だと言えそうです。

 作家はその作品において神のように万能ですから、なんとでも理屈を付けて意外な展開や面白い展開にできるのでしょう。でも私は、作品を観ているとき、ハラハラドキドキしながら楽しんでいます。
 観終わってからも、「あいつが嘘を付いていたのなら、あのシーンでどういう表情してたんだろう?」と思い、もう一回見直したりします。
 『コンフィデンス』の場合、二重に嘘をついている登場人物がいるわけですから、その俳優の演技を見直すのも映画の楽しみとして貴重です。

 『コンフィデンス』の原案を考えた人は、複数見返されることを見越して(そうなると、映画館ではなく自宅などでDVDやテレビ録画で視聴するファンを想定したものになるでしょう。)書いたってことになりそうです。

 映画評論家って、そういうことも踏まえて映画評論しているのか、一度質問してみたいと思っています。

以上

#コンフィデンス #伏線回収
 

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