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何歳まで生きるか、という目標 (1533文字)

 若い頃って、なんとなく自分は長生きしないだろうという前提で生きています。自分が短命だろうと思っているというのではなく、長命ではないだろうと見積もっているということです。

 話は変わりますが、企業会計には「保守主義の原則」というのがあります。「保守主義の原則」はザックリ言うと、将来起こりうる可能性の高い不利益を考慮した会計処理のことで、収益は少なく遅めに認識し費用は大きく早めに認識するような会計処理のことです。

 このような、いいことは控えめに考え悪いことは過大に見積もるという考え方は頗(すこぶ)る健全な考え方で、別に企業会計に限った考え方ではありません。多くの人は将来設計においてこの「保守主義の原則」に沿った考え方をしていると思います。

 この考えを寿命について当てはめると、まず「寿命は短めに見積もる」ということになります。その結果、「自分は長生きしないだろう」とみなして、貯金したり生命保険に入ったりします。
 でも、その寿命がいつ終わるかは不確定なので、二つの準備方法があります。
 ひとつは想定よりも早く寿命が尽きる場合で、これに対する対処が生命保険です。
 もうひとつは想定したよりも寿命が作るのが遅い場合で、これに対処するのが年金です。

 若い頃に自分の人生を保守主義的に考えた場合、「長生きしないだろう」と保守主義の原則的に想定するのは当然といえます。

 でも、前述のとおりいつ寿命が終了するかは不確定ですから、「長生きした」場合も考えておく必要があります。
 現代は変動が激しい期間に当たるので、比較的健康な状態で長生きする場合の将来設計も考えておく必要があります。もし不健康な状態で長生きした場合は、入院するにしろ施設に入るにしろ選択肢が複雑過多になるので、まずは自分で考えうる範囲で考えます。

 その第一歩が自分の寿命の予測だと考えて、私は「100歳まで生きる。」ことにしました。
 自分で「100歳まで生きる。」と宣言したところでそうなるかどうかは分かりませんが、そういう想定で将来設計をすることにしました。
 これは、小説『成瀬は天下を取りにいく』の主人公成瀬あかりが小学校の卒業文集に将来の夢として「200歳まで生きる。」(同書9ページ)と書いたとあったので、だったら私はより現実的に100歳まで生きることにしようという単純な考えです。

 とにかく「100歳まで生きてなおかつ脳も運動能力もそれなりに使える状態でお迎えを迎える。」ことを前提に考えてみると、この先いろいろやることがあります。
 100歳となれば、曾孫がいることも想定しなければなりませんし、脳と身体について加齢による劣化が予想されるのでその対策を立て実行する必要があります。もちろん、経済的な心配がある程度ないように年金なり貯蓄なりも必要になります。

 これまで「長く生きることが叶わぬ夢」的な「いいこと」として考えられてきました。だから、将来設計で保守主義の原則を用いて考えるとき「長生き=利益」として、実現可能性が低い対象とみてきました。
 でも、今や日本は長寿国と言われているので長生きはめずらしいことではありません。長生きをリスク(risk 危険)として捉えるのは抵抗がありますね。
 しかし、比較的短命であることを前提にした将来設計において長生きすることをリスクとして位置づけるのは保守主義の原則に則って(則る「のっと」 規範としてならう。)いるといえます。

 それにしても、100歳までまだかなりあります。
 ウエストランドの漫才の出だしみたいに「さぁ、がんばっていきましょう。」

#創作大賞2024 #オールカテゴリ部門 #成瀬は天下を取りにいく #保守主義の原則 #100歳まで生きる

 
 

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