漫才とプラモデルの大ボケ小ボケ (1436文字)
先日「吉本プラモデル部チャンネル」で『模魂ちゃん! #44 ④プラモ奥義伝承EXTRA』を観ました。
この動画プラモデル製作の動画チャンネルなんですが、漫才師パンクブーブーの佐藤哲夫さんが、漫才の作り方はプラモデル製作のヒントになることがあるという観点で、ご自分の漫才の作り方について講義をされていました。
この講義の主要な部分は、大ボケと小ボケの定義で、佐藤さんは、「なぜその漫才を作ろうと思ったのかという、言わば木の幹の部分」が大ボケで、「大ボケを面白く伝えるための木の枝や葉」が小ボケだと考えているそうです。
この小ボケとは別に、大ボケと無関係なボケをする漫才師がいますが、佐藤さんはこのようなボケは「ノイズ(雑音)」で、これはこれでウケることがありますが、最終的には大ボケの印象が薄れるのでしないほうがいいというお考えのようでした。
大ボケの印象が薄れるということは、観客の記憶に残りにくいということだということでした。
またM1のような漫才コンテストのときは審査員の印象にのこりにくいということで、印象に残るネタの方が勝ち残っていくということでした。
私が、大ボケの「なぜそのプラモデルを作ろうと思ったのかという、言わば木の幹の部分」は、プラモデルを作るときの作り手の考えと共通していると感じました。
例えば私が、第二次対戦中のドイツの二号戦車を作ったときを思い出すといろいろ考えていました。
あの当時プラモデル界はミリタリーブームで、しかも第二次対戦中のドイツ戦車が人気の中心でした。
だから、二号戦車を選んだというのは自然な流れでした。でも、だったら三号戦車でもパンサーでもよかったはずです。
なのに、二号戦車を選んだ理由を思い返してみると、「小さくて作りやすそうだ。」「歩兵と戦車兵が付いていてフィギュアを塗装する練習になる。」などいくつか思いました。でもそれらの共通した背景として「砂漠で二号戦車が砂煙を上げて疾走している姿はかっこいい。」というイメージがありました。
つまり、二号戦車のかっこよさを具現化したいというのが大ボケで、小型で作りやすいとかフィギュアが付属しているとかいうのは、小ボケに当たります。
この大ボケを二号戦車製作にどのように生かしたかというと、①戦車兵を載せない。②二号戦車の平面(地面と平行な面)と立面(地面と直角な面)とで塗装(ダークイエロー)の色調を変える(立面は平面に比べて暗めにしました。)。光源(太陽)が二号戦車の右後方上部にあることを想定して塗り分けました。③「サハラ砂漠の砂は細かいはず」考えて、その砂が履帯(キャタピラ)や車体の砂の表現は押さえるようにしました。細かい砂は疾走する二号戦車に当たる風で車体に留まらないだろうと想像しました。
他の例でいえば、フランスの三角翼のミラージュ戦闘機は「離陸直後でまだ車輪を格納していない姿が一番映える。」とか、トヨタセリカ(初期型)は「住宅街の広い道を法定速度で走っていて、フロントガラスに木立の影が写り込んでいる姿が似合う。」というのが、各々のプラモデルについての私の大ボケになります。
私が思うに、大ボケってのはアニメ『攻殻機動隊』でいう「ゴーストが囁く」ってことなのかなと思います。
面白いこととかかっこいいこととかは、その人固有の感性により生まれる感覚であり個体差がありますからね。
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