奇術師アダチ龍光 (892文字)
「奇術」という言葉はめっきり聞かなくなりましたが、私にとって奇術師といえばアダチ龍光さんです。
アダチ龍光さんは、生年は1896年没年は1982年で新潟県出身です。
新潟弁で喋りがうまく、手品の道具は木製で厚めの塗装でした。厚めといってもそれは今の感覚からいう印象で、当時はそれが普通だったのでしょう。
今は、手品道具の素材もプラスチックなどの軽いものが多く、また仕掛けも精巧で精密な加工技術を駆使しています。でもアダチ龍光さんの時代は板同士のはめあいがきっちしていなくて、奇術師が指先で微調整しながら演技を続けているのがテレビ画面からもはっきり分かりました。
あるテレビ番組でアダチ龍光さんの流暢な喋りのコツを尋ねられたとき(このときは既に昭和天皇の誕生日に御前で奇術を披露した後でした。)、「喋るとき『あー』とか『うー』とか言う人がいるけど、観客はそんなの聞きたいんじゃないから、そういうのは言わない。『あー』とか『うー』とか言うのは喋ることが無いからなんだよね。喋ることが無ければ黙っていればいいんだよ。」と語っておられました。
以来私も、「あー」とか「うー」とか、他の喋り癖も出さないようにしています。「他の喋り癖」というのは、「要するに」とか「・・・という状況の中で」といったものです。
これらの言葉は、一度か二度使うならいいのですが、何かというと「要するに」と言いながら全然結論にたどり着かないとか、「・・・という状況の中で」を繰り返して「状況のことはもういいからあんたの考えを言いなよ。」と思われてしまうなど、聞き手に、話し手が喋っている内容以外のことを考えさせてしまうのでは話す意味が薄れてしまいますし、下手したら聴いてくれなくなります。
だから、喋り癖は出さないようにしています。それには、ビデオなどで自分の喋りを記録して検証するのが有効ですが、自分の姿や喋りを視聴するのは辛い。辛いのですが、何度かやっているうちに「記録の中のこいつは自分ではない。」という意識ができてきて、そのうちなんでもなくなります。
アダチ龍光さんの記憶はいつも脳裏にあります。
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