癖にはその人の内面が表れている
私は小学校中学年くらいから自分の髪を手でいじるのが癖だった。その癖は未だに続いている。
いじり方は時期によってそれぞれだった。前髪をくるくるするときもあれば、左のこめかみあたりをいじることあったし、つむじのあたりの髪を絡ませたりしたこともあった。
何をきっかけにこの癖が始まったかは覚えていない。だけどおそらく、試しにいじってみたら、なんとなく気持ちよかったからとかだろう。
親や友達からは「はげるからやめた方がいいよ」と言われてきた。自分でもよくないとは分かっていたので、何度かやめようと挑戦してみたが、気づいたらまたいじっているのがいつものオチだった。
もちろん四六時中いじっていた訳ではない。いじっていた時間のほとんどは勉強中(とくにテスト中)だった。
とくにテストが全然解けないときは、より一層いじるのが激しくなった。そしてテストが終わった後に机の上に大量の自分の髪の毛がポロポロと落ちているのを見て、嫌な気持ちなった。
普段は無意識でいじっているのだが、その時は、いじっちゃいけないと分かっていながらいじっていた。
今いじるのをやめてしまったら、自分が自分でなくなってしまうかもしれないというある種の強迫観念のような気持ちを感じていた気がする。
私が最もいじるのが激しかった時期は中3の夏あたりだと思う。
左のこめかみの辺り、耳の少し上辺りを左手でいじっていた。おそらくかなり強めの力だったと思う。
そんなある日、美容院に行くと散髪し終わった後に美容師の方からこう言われた。
「最近、何かストレスとかあったりしますか?」
この一言で何が言いたいかはすぐに分かった。
「いや、違うんです。髪をいじっちゃう癖があって、、、、」
「あ、そうですか。円形できてますね。これ以上刺激を与えたら髪が生えてこなくなっちゃうんで、気をつけた方がいいと思いますよ。」
これで会話は終わった。
髪を切る前は他の髪のおかげで、はげているのが隠れていたらしい。散髪後は明らかに不自然な感じになっていた。
家に帰ると、恥ずかしいので家族にはあまり左耳は見せないようにしゃべっていたが、それが上手くいくはずもなく、夕食のときに母親に気づかれた。
ことの顛末を話すと、母親はとても心配していた。いじるのが原因とわかっていても、なにかストレスがあるのではないかと思ってしまうのが、母親というものなのだろう。
自分でも、これから髪が生えてこなくなるのはまずいと思って、本格的に対策を始めた。まずは、いじる場所を変えて、ゆくゆくはいじる癖もやめようと考えていた。
その結果、いじる場所を変えるのは成功したが、未だにいじる癖は治っていない。
運良く、はげていた部分も髪が生えてきてすっかり元通りになり、今はいじり癖に関して何も困ってることはない。
しかし最近になって思うのは、あの美容師さんからの「ストレスがあるか」という質問には、「はい」と答えるべきだったのではなかろうかということだ。
今思えば、中3の頃はかなり悩み事が多かった。
受験の不安はもちろんあったし、人間関係にもおおきな悩みを抱えていた。
そんな時期に髪をいじるのが激しくなったのは、やっぱりこれらのストレスが影響を与えていたと思う。
どういう原理なのかは分からないが、昔から行なってきたこの「髪をいじる」という何の意味もない癖が、自分に安心感を与えてくれていたのかもしれない。
だからこそ、はげるまでこの安心感を求めてしまうのは、心のどこかに問題があったのだろう。
そう考えれば、母親の心配も間違っていなかったと思う。今思えば、面倒くさそうな反応ばっかしてごめんなさい、と謝りたい。
私に限らず、なにかしらの癖を持ってる人は多いと思う。爪をかんだり、貧乏ゆすりをしたり、もしかしたらペン回しもこの中に入るかもしれない。
それぞれがその癖を行う理由は千差万別だろうけど、中には私と同じような人もいると思う。
自分の体のどこかを触ったり動かしたりすることで安心感を得られるというのは、あまり理にかなったものではない。
だけど、自分なりにこの原因を考えてみると、心と体は強く結びついている、という結論にいたった。
心の状態は体の状態に影響を与え、逆に体の状態は心の状態に影響を与える。そしてその相互作用の結果として「髪をいじる」という癖が生まれた。
だから、それぞれの人の癖にはその人の内面が表れているんだと思う。
少し前まではこの癖を治したくてしょうがなかった。だけど、最近になってあまりそんな気持ちも湧かなくなった。
逆に「私が辛い時にいつも支えてくれてありがとね」という感謝の気持ちすら湧いてきた。
これからもこの癖とうまく付き合っていこうと思う。
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