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『臨時』の人 〜 ①

 作家の野坂昭如(1930~2015)が、庭先の水栓に繋いだホースで子犬を洗う場面が映し出される。随分昔のアルバイト情報誌のテレビコマーシャルで、世の中にはさまざまな仕事があることを訴えていた。

 「生き物(元を含む)を洗う仕事」と言うと、高校生の頃、「ベトナム戦争で倒れ、基地に輸送されて来る米兵の遺体を、棺に納めて母国の両親に返す前に洗う」アルバイトと言うのが密かに噂になった。大江健三郎((1935~2023)の小説にも出てきたように記憶する「伝説のバイト」の一つで、その恐ろしげな仕事内容にもかかわらず、当時1日1万円を超える破格のバイト代が、貧しく好奇心旺盛な高校生の「あこがれ」にもなった。「やってる先輩を知ってる」と言う者もいた。

 私も、いろいろなアルバイトをした。最も変わったところでは、テキ屋と探偵。一番長く続いたのはトラック運転手で、実にいろいろなものを運んだ。家庭教師は人気職種だったが、私のはかなり変わっていて、持ち出しになって長続きしなかった。

「あんた、いい商売してるね」

 年末年始、四季の祭り、例大祭・・・人が集まる場所に店を張るテキ屋は2年やった。夜遅く売り物を積み込み、夜明け前、トラックの荷台に隠れて、神社や寺の参道に出向いて店を組み立てる。人が集まりだすと商売を始め、往来が一段落する夜に商品を片付け、店を畳んで、次の「ショバ(「場所ばしょ」の反対の符牒ふちょうかな?)」に向かう。

 親分の家に帰り着くのは夜更け近く、先ずは売上を畳の上に並べて報告し、前に出て親分に納める。前日より売り上げが増えていれば大満足で、販売個数・単価やや残数などのチェックもなく、いい加減な「締め」だった。「あ〜、あれだから」と言うのが親分の第一の口癖で、これを合図に「夕食」なのだが、毎回決まって白米・味噌汁・沢庵のみ。ただ、みんなはたこ焼きやお好み焼き、焼きそばやフランクなどを商売仲間からもらって食べているので、深夜の夕食は、お義理程度にしか食べない。でも、不思議に美味しい。

 任される売り物で「序列」が決まる。食べ物は売上単価が高く、最上位だ。七味唐辛子は最上位の一つ。客の前では7種類入れるが、2つ3つで済まさないと、怒られる。綿菓子。これも原料と売値の開きが大きく、上位。チョコバナナや粉物系は、それなりの「技術」と、多分縄張りがあるのか、アルバイトでは助手くらいしか任されない。

 私の最初の担当は、ぬいぐるみ。キリンや象やライオンはロングセラーだから納得できるが、やたらパンダが多かった。親分の第二の口癖は「これからはパンダだから」で、どうもパンダブームで大量に仕入れたのが売れ残ったらしい。値付けはいい加減で、だいたい300〜500円均一にした。

 小さい子供が集まって来るので、私は一番小さい子には1個10円、お金を持っていないと泣きべその子には、内緒だよと言って、タダであげていた。だから、店を開けると、いつも子供の人だかり。友達を連れて来る子もいた。テキ屋仲間が不思議そうに見ていた。

 客によって、値段を変えていた。

 ある時、姉さん風の和服の女性が立ち寄った。やはり和服の若い彼氏が、目立つところに陳列していた、一番大きいのを買おうとすると、「そんなに大きくなくてもいいのよ」とは言いながら、まんざらでもない様子。「いくら?」「¥3,000」こう言う場面では、男は断れない。和服の姉さんが、立ち去り際に振り向いて、「あんた、いい商売してるね」

 実は、この姉さん、ただ者ではなかったようだ。翌日、担当がアクセサリーに格上げになった。「値段は自由に決めて良い」の追加指示付きで。

 テキ屋なんて、求人情報誌には載らない。「イベントでの商品販売員」と言ったって、勤務先が〇〇興業や〇〇総業なんてちょっと怪しげで、勤務場所と組み合わせれば、ハローワークには載りそうもない。

 作家志望で学校には滅多に来ない先輩が、何かのデモで捕まり、留置所で同室になったテキ屋の親分から見込まれて持ってきたアルバイト。親分の一人娘がゾッコンになり、毎夜の売上報告会で流し目を送っていた。その後無事(親分からでなく)一人娘から逃げおおせたのか知らない。

 この先輩、随分経って作家になり、何かの文学賞を受賞したような気もする。その作品を読んだが、痕跡が全く残っていなかったので、確かではない。冒頭コマーシャルに登場した野坂昭如は、直木三十五賞、吉川英治文学賞、泉鏡花文学賞や日本レコード大賞作詞賞などを受賞した。若い頃のいろいろなアルバイト=職業体験は、その後の人生に生きるのかも知れない。

(続く)

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