やっぱり、上高地は良いな
目の前に広がる圧巻の穂高連峰。澄んだ流れの梓川。やはり、上高地は良い。
55年ぶりに、その上高地を訪ねた。妻は一度行きたいと言っていた。以前とは趣は違っているが、やはり一度は訪ねる価値のある場所だと思う。
紅葉1週間前で、まだ大混雑というほどではなかったが、十分混んでいた。登山客、観光客、外国人旅行者がそれぞれ3分の1づつと言った感じ。東京と新宿から上高地行き高速バスに乗ると、5時間ほどで上高地のバスターミナルに着く。早朝に着く夜行バスもある。スーツケースを引っ張る外国人観光客は、多分バス利用者だろう。
大正池でバスを降り、田代池や湿原に立ち寄り、2時間ほどかけて河童橋へ向かう。大正池は、55年前には立ち木が湖面に残り、独特の景観を呈していたが、ほとんど消えていた。
途中梓川の河岸からは、焼岳がきれいに見える。立ち木がちらほら残っている。梓川に流れ込む小さな支流を覗き込むと、魚影が濃い。
上高地を有名にしたのは、英国人宣教師ウォルター・ウェストン(1861~1940)だろう。1891年(明治24年)に、上條嘉門次の案内で、登山の際に立ち寄っている。100年以上前の上高地。初めて目にする山々と清流に、さぞかし感激したことだろう。
高校生の自然観察グループにいくつも会った。引率の先生が、ウェストン碑の前で、上高地の歴史を説明するのをそばで聞いた。
今回は乗鞍高原の温泉に前々泊し、乗鞍岳の畳平からすぐ登れる魔王岳(2,763m)から穂高連峰を望み、翌日上高地へ向かうコースにした。穂高連峰に囲まれた涸沢の一番下のところが明日行く上高地だと、妻に説明した。
55年前は、明神池や徳沢を過ぎ、ウェストンが越えたと言う徳本峠まで歩いたが、今回は河童橋までの散策で引き返した。人が途切れると静寂が訪れ、木々の香りが漂うので、グループはやり過ごした。
最近ツキノワグマが出没し、昼時に外国人旅行者が襲われる事件があった。元々クマの生息域だが、開発されている場所近くに出没するのには訳がありそうだ。
河童橋が近づくと、数匹の猿が、等間隔で道に一列に並んでいる。そばの藪に群れが潜んでいるのが分かる。観光客は写真を撮っているが、中には餌をやる者もいるのだろう。猿の群れは一見おとなしそうに見えるが、時々ヒュッヒュッと鳴いて連絡しているようで、私には、警戒しているように見えた。
河童橋の袂には、テークアウトのカフェやスタンドが所狭しと店を構えていた。これは55年前にはなかった。
観光客で混雑する上高地。確かに、騒々しくなり、「俗化」し、昔の面影は失われた。しかし、変わらぬ魅力は健在だ。山々には迫力があり、清流には爽やかさがあり、森には静けさと香りがある。
河童橋の袂のテーブル席に、二人連れが座った。お婆さんは、そのまま銀座あたりに出かけてもおかしくないようないでたち。但し、足元はスニーカー。孫娘と思しき若い女性は、山岳ブランドの上下に登山靴、登山ザック。登山した様子は薄く、ファッション?ザックにチタンのマグカップを下げている。「上高地の水が飲めるんだって」と、おばあさんに、手が届かないカップを外すようを頼み、水を汲んで二人でごくごく。微笑ましい風景だ。
お年寄りにも、訪れるのが困難でなくなったことは良いことだと思う。実は先月亡くなった私の母も、生きているうちに一度は行ってみたいと言っていた。やはり、上高地は、日本の山岳景勝地の「聖地」だなと思う。
(了)
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