科学的「確からしさ」 (4−4)
連載の最終回では、「科学」と「科学でないこと」の間を生きた・生きている人のことを考える。二人を選んだのは、比較のためではない。
宮澤賢治
海外の鉱山などで活躍する巨大な建設機械を作っているメーカーの入社面接で、(今は聞いてはいけないようだが)「尊敬する人」の質問に、真っ正直に「宮澤賢治です」と答えた。「『はたらくクルマ』が好きです。いっぱい『持って』います」と答えれば良かったのかも知れない。
宮澤賢治(1996~1933)は良く読んだし、花巻温泉に泊まり、記念館も訪れた。
童話作家、詩人、自然科学者、農村運動家などいろいろな側面を持った、一つの枠には収まらない、偉大で個性的な「文学者」だと思っている。
童話や詩には、自然科学的素養が随所に顔を出すし、科学的文章には、何か文学的な響きがある。農村運動家としての文章や行動には、科学と社会運動を結ぶ理論と実践の体験が埋め込まれている。
宮澤賢治は、岩手県の農村にあって、世界に対峙した。文学と科学で、世界を理解し解釈し、思いを作品化した。
貧しい農村を変革するために農民運動にも身を投じた。農業と農民芸術の学校「羅須地人協会を設立したり(1926)「農民芸術概論概要」(1926)を著したりした。しかし、東北の農村の厳しい現状は、芸術=文学から、科学技術とその実践指導へと、行動変容を強いて行く。
宮澤賢治は、科学と非科学を融合し、理論と実践の間で苦闘した生涯を含め、憧れる人物の一人になった。
尾身さん
次は尾身さん。フルネームは尾身茂(1949〜)さんで、新型コロナ感染症の蔓延と共に「登場」した。医学博士だが、自治医科大学卒業後、慶應大学の法学部法律学科に進んでいる。
いかにも「人の良さそうなおじさん」の印象で、コロナで家に篭っていた頃は、テレビでその顔を見ない日はなかった。
尾身さんは、コロナ対策の過程で、非科学的世界、特に社会と政治の世界に巻き込まれた科学者として選んだ。厳しい行動制限に対する社会的、特に政治的な批判と圧力を受けて、「医学的(科学的)見地からはこう申し上げたいが・・・しかし・・・」と、苦しそうに説明する姿は、今も脳裏に残っている。
「コロナで多少死者が出ても、行動制限を撤廃して、経済活動を進めるべきだ」と正面切って言う政治家はほとんどいなかった。代わりに、科学者から中途半端な「科学」を仕入れて、あるいは有識者として抱え込んだ科学者に代弁させて、問題の正面から向き合うのを避ける政治家が横行した。
これは、福島の原発事故でも、最近の処理水問題でも同じだ。
尾身さんは、ある意味で、科学と非科学の間で苦悶・苦闘し、残念ながら非科学=産業界を含めた政治の圧力で、政治の側に倒れこまざるを得なかった犠牲者の一人のような気がする。
科学と非科学の世界が交わるところ
科学は、特に技術と結びついて科学技術となるとまず産業界と結びつきを深め、産業界を介して政治との結びつきが強くなってきた。軍事との関係も結構古く、科学研究と軍事研究の連携も俎上に上がる。まあ、昔からあった「連携」がその後批判されて表向き封印されていたに過ぎないのだから、表通りを歩けるくらいに復活したと言った方が正確だろう。
これらは、非科学が科学を取り込む、あるいは利用する証拠で、科学が(研究費や社会的地位の向上などを目的に)非科学に擦り寄る表れだろう。
NHK朝のドラマ「らんまん」でも、研究に打ち込む「純粋な」研究者と、地位や名声を得ることに奔走する帝国大学を筆頭とする「アカデミズム」の好対照な姿が毎朝のように放送されてきた。
しかし、科学も非科学もヒトのすることとすれば、もともと結びつくのは自然な動きで、両者に全く「付き合い」がない時代はなかった。むしろ、一人のヒトの中に同居していた歴史の方が圧倒的に長い。
私は多分、非科学側の一員として、科学の素人になるのだろう。しかし、「素人は黙っていろ」と言う「素人」の「科学的」言説を疑い、科学的な考え方と推論手順を身につけ、納得するまで検証する姿勢は保っていきたいと思う。
「それでも地球は回る」と呟いたイタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイ(1546~1642)は科学者だったが、宗教という非(近代)科学の「異端審問」で有罪となり、火刑に付された。ガリレオの科学者としての気概、忘れまい。
(終わり)