「友だち」はたくさん必要ですか?~今の子どもたちの大きな悩みとなる友だち関係~
学校の先生をしている夫です。
小学校入学前、子ども達が歌っている歌で最も有名なものは何でしょう?
入学シーズンになると、百貨店やイオンやイトーヨーカドーなど総合スーパーの子供用品売り場でも必ずと言っていいほど流れているあの歌ですよね?
『一年生になったら』
歌える方もかなり多いはず。
調べてみると、1966年に発表された動揺なのだとか。
つまり、60年以上の毎春、歌われている曲ということになるのでしょう。
何とも歴史ある曲ですね。
小学校に入学したら、してみたいことが歌詞になっており、
ワクワクしながら歌っている子どもを見かけることがありますね。
その歌詞の一部を見てみましょう。
『いちねんせいになったら
ともだちひゃくにんできるかな』
この曲を聞く度に、夫は次のことを話します。
「この曲を否定するつもりは全くない。ないけど、この曲が『友だち』がたくさんいることがさも良いことと『幻想』させている最たるものになっているかもしれない。」
その話の上で、こんな質問をするのです。
「『友だち』ってどういう人なのだろう?
話したことがある人が友だち?
教室の隣の人が友だち?
100人も友だちがいたら、毎日が忙しく、大変にならないのかな?」
「俺(夫)に友だちはほとんどいないから。うーん・・・5人かな?
知人なら数千人はいると思うけど。」
幼少期から
「友だちは大切にしましょう。」
「友だちと仲良くしましょう。けんかはいけません。」
このように幼稚園や保育園、学校の先生から言われ続けていますね。
ただ、この場合の友だちは、自分の周りにいる人、
大人のことばにすれば「知人」ではないのでしょうか?
夫曰く、この「友だち」があまりに多すぎて、その友だち一人ひとりに全力の友情(?)をかけることが大切、と考えている子どもがどんなに多いことだろう、というのです。
スクールカウンセラーも常駐、あるいは、週に数日、校内にいる環境が整いつつある今日の学校です。
スクールカウンセラーに相談に行く子どももかなり多いようですが、この「友だち」のことばに追い詰められているケースが多いようです。
例えば、
「『友だち』とケンカして、絶交と言われた。自分はどうしたらいいか、分かりません。」
「『友だち』と『友だち』が仲良くないんです。私はどちらとも仲良くしたいのに、どうしたらいいんですか?」
「教えてください。あの子と仲良くなりたいけど、どうしたらいいか、分かりません。」
私たちが子どもの頃なら、ごくありふれた、日常茶飯事なことでも、今の子ども達にとっては一大事なことになっているようです。
友だちとケンカをする、仲違いになる・・・
このようなことが今の子ども達にとっては一大事で、他の事も手につかなくなり、深刻な場合は学校に登校できなくなる、そのような事態にもなってしまうケースもあるそうです。
この原因はなぜか?
それは、幼少期から友だちとケンカをしていないから、と夫は話します。
先生から「仲良くしましょう」を切実に行動に移しているのがいまの子ども達です。
もし、ケンカをしようものなら、先生が仲裁し、
「じゃ、仲直りしようね。」のことばでケンカが(半強制的に)終了する、このようなことが増えているのだろう、と考えています。
先生としても、ケンカがこじれ、ケガに繋がるようなことにならないように、という望みはよくわかります。
その分、他人の気持ちを理解する手前、あるいは、それ以前のところでの子どもの思考が止まっているのではないか?
つまり、仲間同士のこじれ(=失敗経験)を消化不良のまま、仲直りするということになっており、中途半端な両社の距離が離れることもなく、近付くこともないままになっているのではないか?
あくまでも夫と私の会話の中での推測に過ぎませんが、子ども達の状態からそう遠くはないところを突いているように考えています。
ただ、それ以前に、「みんなと仲良くする」ことは可能なのか?
という問いに、夫と私はぶち当たることが多いのです。
社会人になってからも、社内の全員と仲良く働きましょう、ということはほぼ難しいことでしょう。
その中でも、仲良くない状態にせよ、業務を円滑にするため、それなりの対応をしています。
とりわけ、立場上、業務内容で意見が違うこととなれば、それこそ、冷戦に近い状態にはなります。
だからといって、お互いがケンカをしていても仕方ありません。
「大人の対応」をする、という表現がありますが、業務では互いの距離を認めながら、遂行しているわけです。
「友だち」とは何だろう?
この問いに夫は、様々な方向からこの問いを見つめるそうです。
結局、毎回行きつくところが、
「何かあっても、その人を信じる、ケガや病気があったら、すぐに駆け付ける、それがお互いができる関係になっている人が友だち、
そうでなければ、知人。
仮に、自分が重病になっても、駆け付けてくれる人は何人いるだろうか?
俺が駆け出すのは、家族以外で、5人かな。」
友だちの数は問題ではない、
家族ではない、親密な関係を築くことができる人、それが友だち。
子ども達にも、様々な経験を通じながら、本当の「友だち」と出会うことができることを願っています。
今回の夫の考察の際、参考にした書籍はこちらです。