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炎舞、そして消し炭 [前編]

リベンジを固く誓い中学2年の冬は、休日もトレーニングに勤しんだ。冬〜春は駅伝が多いのでそこでアピールし、力を付ける。そして来年の東葛駅伝の主要区間を勝ち取り、憎き教頭をギャフンと言わせる。
冬の銚子駅伝は山中で送迎バスがエンコして登録メンバーの半数が風邪を引き、タイムが低迷する中私は及第点の走りができ、2月の市内駅伝では主力1人がインフルだか胃腸炎になり代打という形になったがAチームで優勝に貢献した。「強くなっている」実感がそこには確かにあった。

しかし、かれこれお世話になっていたクソ顧問が、他中に異動になってしまい、おまけに後任で顧問に就任した人は全くの走り素人。無能な松岡修造といったところか。

練習メニューも、前任よりきついメニューをやれば力が伸びるという安直無能思想で、春先から怪我人が多発。
高校の推薦も懸かっていた私は、是が非でも県大会出場しなければいけない。よって、ずっと嫌悪してきた「サボり」を発動することにした。
レース前日の追い込み意外は1番遅い人間くらいのペースで走り、午後練は基本休む。とことん疲労を溜めない、ということを徹底した。

幸い、修学旅行実行委員に選ばれていた上に、母親が教育熱心ときたのでサボる理由は無限にあった。毎レース疲労感ほぼ無しで挑めるのは気持ちが良かった。

血の滲むサボりへの努力が功を奏して1500メートルで無事県大会出場を決め、出場者のランキングでも半分より上のタイムを出せた。
これにて、私の受験は実質幕を閉じた。

しかし、当時の私は、「勝って兜の緒を占める」
を知らなかったので慢心してしまい、ついてしまったサボり癖も改善されず架空の塾へ通い続けた。
天罰が当たりその後のレースは低調を極めてしまう。県大会は2段階あり、1段階目の県通信、そこから参加標準タイムが更に速い県総体がある。
県総体に出れれば、準強豪高校では一部学費免除が勝ち取れるくらいだ。
それをあと2秒で流し、高校の学費を満額収めることになってしまい、実質親不孝息子になってしまった。

追い討ちのように腰の重い怪我のリスクを負ってしまい、陸上部としては最後の総体で、散々たる結果になり事前ランキング4位でありながら8位の入賞すらも逃して、男子総合優勝の戦犯の1人になってしまった。(もう1人は、現在高級車を乗り回し当時は100mのタイムを0.7秒も早く自慢する大ホラッチョ野郎)

いいところまで行くが決めきれない。積年の課題であるが、この時からである。
ただ、私個人の中学ラストイヤーにとって、肝心なのはトラックレースではなく駅伝である。
"教頭への因縁"だけは肩時も忘れてない。
大袈裟に言うと夏一杯スランプでも、秋に復調すればいい。メンバー落ちは現実的にあり得ないので。

1、2年時に比べて割り切った気持ちで夏の練習に入っていくことができた。


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