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家族って何だろう

俗にいう一般的な家庭で育った私。生まれたときから当然のように家族の一員に組み込まれ、娘として手塩にかけて育ててもらった。

私は30歳手前で結婚。当時はとにかく実家を出ろと、母から執拗に言われていた。家族が大好きな私は全然乗り気じゃなかったけど、交際相手がいてこのままズルズル決断しないのも何となく良くない気がした。

結婚式も挙げず、指輪もつくらず、籍だけ入れたら名字が変わった。私にとって結婚は、たったそれだけのイベント。サプライズなど求めていないので、後悔は全くない。

旦那についていった知らない土地は、知り合いがいないし娯楽も圧倒的に少ない場所。ようは田舎。はぁ、おもんなと思いつつ、少しホッとしている自分がいた。

地元にはそれなりに知り合いや、その親がいる。誰誰ちゃんが結婚して子どもがうんぬんで、という話は嫌でも耳に入った。全然興味はなかったが、何か私、比べられてんの?と思うと気分が悪かった。誰もそんなこと思っていないのに、勝手に追い詰められていた私。女同士、結婚もそうだが子ども産んだは親同士の会話としては鉄板だ。本当に、何も気にしなくていいのに、外野のどうでもいい話ほど記憶に残ってしまうからタチが悪い。

そういうこともあって、知り合いがいない土地での生活は気楽だった。最初の頃は寂しい夜を過ごしたりもしたが、一年もすれば慣れてしまった。

夫婦生活はこんな表現をしたら怒られるかもしれないが、毒にも薬にもならない感じ。お互いに一人暮らしや同棲経験がなく、探り探りの生活。妥協点を探しては衝突することもしばしば。

だけどたまにあるちょっとしたことが支えになった。たとえば旦那が学生時代の頃から通う、ラーメン屋へ二人で行くこと。甘いモノ食べたくない?といって、深夜にコンビニまでスイーツや煙草を買いに行くのも、毎日のぐだぐだした悩みを帳消しにするには十分だった。

よくある話。私は結婚したら自然と子どもを授かるものだと思っていた。健康診断だって問題もないし、煙草やお酒は・・・辞めた方がいいのは分かってるけど、そうまでしなくても、ね?と。生理コントロールのために飲んでいたピルを、辞めたのがいつだったか分からくなるくらい月日が流れた。

職場で「子どもつくらないの?」と不躾に聞かれた経験もある。それって何て返すのが正解?「セックスはしてるよ。でも、できない」そう事実を述べたら、満足してくれるだろうか。そんなに子ども好きじゃなさそうだもんね、と言われたらそうそう、と笑いながら煙草を持って喫煙所へ向かった。

別に間違いじゃない。だけど他人に決めつけられると少しむかついた。

家族の在り方は自由で、こうでなくちゃいけないという決めつけはやめようとか、よくないとか、散々報道しているにも関わらず。結局よくある世間体はみんなの根底にこびりついてて、周りからは平気で子どもいないから分からないよね?みたいな顔をされる。

そんなことがあると二人でラーメン屋に行くことも、深夜コンビニへスイーツを買いに行くことも、私の中ではキラキラしてたはずなのに、急に色を失った。このままじゃいけないわけ?時々一部の人たちが、なんだかんだと水を差してくる。それは地元を離れてもなくならなかった。

子どもを産んだ今、水を差してくる人はいなくなった。私は大多数が思う家族の形におさまったということなのか。まったくあほらしい。だけど勝手にそういうことにしておいてくれれば、絡まれないからある意味楽ではある。

人の数だけ家族の形があるから面白いのに。似ているところはあれど、みんな違うからこそ魅力的で奥深いのに。それを知ろうともしないなんて、乱暴な人たち。

そうはっきり言えればいいのに、なかなか言葉にできないのは私にも「こうあるべき」みたいな刷り込みがあるんだろう。
無意識でそういう考えに振り回されないよう、私は今日もnoteを読む。たくさんの人々、家族の物語を読み、心をフラットにしてくれる文章たちに今日も感謝。


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