学生時代の帰り道
私はとある美術大学の絵画科へ通っていました。15年以上前ですが(書いていて恐ろしくなる)、当時試験は鉛筆デッサンと油絵のみで、学科はありません。
二年浪人したので、入学したのは20歳のとき。同学年は美大であるあるな年齢がバラバラで、自分の歳も全く気になりませんでした。
大学は山の奥地でクソ辺鄙な場所にありました。最寄り駅からスクールバスが出ていたんですが、本数もそこまで多くなく、乗り損ねると山道を歩くはめに。学内に入るところが急な上り坂になっていて、これのせいで何度講義の出席を逃したことか。道中に乗馬場があって、たまにかわいいお馬さんがひょっこり顔を出していたっけ。
仲の良い友人が、男女ともに何人かいました。好きなアーティストが一緒なわけでもないし、制作する作品も全然趣向も違いましたが、何となく話の合う人たち。
スクールバスに乗り損ねたとき、よくダラダラ歩きながら帰ったんです。たわいもない話をしながら。時には恋愛、バイトのこと、世の中について、芸術とは・・・こうやって分類できないレベルの、どうでもいいことをたくさん話しました。
今こういう話をできる人が、私の周りにはおそらく旦那だけです。それがいいとか悪いとかではなく、気づいたらそういう環境になっていました。
まとまらない話や、結論の出ない話が私は結構好きです。なぜなら社会人になると、圧倒的に着地点のある話を求められるから。
「何となくこう思うんだよね」
「ああ、わかるかも」
そんなやりとりを繰り返し駅に着く頃、あたりは真っ暗に。駅前に立ち飲み屋が一軒あり、焼き鳥を売っていたのでよく私はそれを買っていました。人がまばらな駅のホームで、焼き鳥を食べながら、私ってこれからどうやって生きていくんだろうとぼんやり考えたり。っていうか、就職活動ってめんどくさそうだけど、アーティストで食っていくなんてもっともっと無理だしな・・・、なんて。
でもそんなぼんやりな考えも、考えてるうちは他人事でしかなかった気がします。現実味のない、所詮といったら投げやりな言い方だけど、学生の立場からしか見えてなかった風景でした。
でもあの会話や私が見ていた風景は、もう二度と経験できないことです。そして話していた内容は何一つ思い出せないのに、あの道を歩いている私と友人たちの姿だけは思い出せるのがとっても不思議。
もうスクールバスを乗り損ねることもないし、あ!今日は馬いるよ!と笑うこともない。あの一瞬と今が繋がっているなんて、本当に人生はままならない。