大人になって考える「友達」
学生じゃなくなると、とたんに友達が貴重な存在になる。学校というあの空間で、確かに私たちは友達だったはずなのに、社会へ出ると連絡を取り合うのは結婚したときや引っ越したときくらいだ。それすら事後報告になることもあった。
今や私に友達なんて一人もいないのでは?そう思うこともあるけど、特に生きていくのに不自由は感じない。何せ一人で寂しいとか、昔から全く感じない性格なのだ。あと境遇のせいにしたくはないが、一人っ子ということも関係しているかもしれない。ただ少し弱音を吐いていいなら、家族以外に話を聞いて欲しいことは、たまにある。
会社の同僚は、友達とはちょっと違う。確かに気の合う人は何人かいて、もう友達と呼べるんじゃない?と思ったりはする。それでも年に2、3回連絡するくらいだ。
「今度、ご飯でもどう?」
「わんこは元気にしてる?」
たわいもないメッセージを送って、既読がつくかソワソワしたりする。年内にあの店へランチへ行こう!そう言い出さなければいけないのは私なのに、なかなかその言葉が出てこない。なぜなら私の方が、客観的に見て不定期な予定が入りやすいからだ。日程を考えるのが億劫なわけではない。その時は確かに会って話をしたいと思っている。
「でも、」となってしまうのは、きっと私が子ども抜きで友達と話したいからだ。子どもを連れていったら、その話題ばかりになるのが目に見えていてしんどい。私はその話がしたくて友達と会うわけじゃない。
話の主役は常に「私」と「友達」でありたいのに、子どもがいると主張が強すぎるのだ。主役はいつの間にか「子ども」にかっ攫われて、子どもを産んだ私は霞んでいく。そういう状況になりたくないから、やっぱり誰かに子どもを預けられるまで会うのは難しいな、と考えてしまう。
話を戻して、タイトルのこと。そもそも友達の基準って何ぞや?ちなみに私は、
「駅前のケーキ屋さんがなくなって、おしゃれな花屋さんになってたよ」
と写真つきで、気軽に連絡できるくらいの関係だと思っている。え、ハードル高い?そしてそんなことができる人は、一人もいない(残念!)
学生時代の友達へ連絡を取るのって、すごい勇気がいりませんか?私はマメじゃないから、もう何年、何十年と連絡していない人へ、出てくる言葉といえば「お久しぶりです、お元気ですか?」くらい。はぁ、宗教の勧誘かな?と怪しまれても仕方がない。SNSに慣れてる人は、深く考えず気軽に聞けちゃうのかなぁ。
だけどなぜかそんなぎこちない連絡をしなくても、巡り巡ってまた出会うことが不思議とあるのも人生面白いところ。再会は道ばたでも、ネットでも経験した。しかも特別仲が良かったわけではなく、廊下ですれ違ったら、それなりに世間話をするくらいな関係の人が多い。出会ったからまた友達に戻れるか?というと、その表現はどうもしっくりこない。
友達に「戻る」というより、また新たな友達に出会った感覚に近い。再会した瞬間は一気に過去へ思いを馳せるんだけど、冷静になり目の前にいる友達と言葉をかわすと、
あぁ同じ時代を、違う場所で、それぞれ生きてきたのだ
と、柄にもなく感動してしまったり。そしてその感動は結構心に焼き付いて、糧になる。運命とか縁は信じないタイプだけど、やっぱりこの世に無意味な経験など何一つないのだと実感して、また明日も頑張ろうと思える。
写真はネットの海で再会した友達がつくったイタリアンレザーのキーケース。相変わらず職人肌で丁寧な仕事ぶりがうかがえる。気軽に連絡してくれという気さくさが、この歳になると身にしみた。この場を借りて、ありがとう。