
今年一年、振り返り。シンギングボールで始まった2024年前半。
2024年1月、私のテンションは底辺だった。
今思えば、何でも自分で決めて、自分で責任を持つということが大事だったのだ。メールで辞めると言っておいて、まだ後ろ髪引かれていた私に、鉄拳を食らわせたのは、美人園長だった。最後の面談は本当に最悪だった。
とにかく新しい職場を探さなければならない。1月上旬で前の職場を去った私は、新しい職場を探していた。そしてありがたいことに。その当時はまだ保育士不足だった。
これは本当に今の園長には知られたくないのだが、私は今の職場である保育園を占いで発見した。YouTubeで占いを発信している吉本興業の芸人占い師、ラブちゃんと言う人が書いた本も読んでいたら、北東に転職するのが良いとあったのだ。私の家の近くには湖があるので、かなり幅が狭まれてしまい、唯一見つかったのが今の保育園であった。しかも、シンギングボール教育という謎めいた小さな保育園であった。あやしすぎて、私にぴったりだと思ったのだ。
面談はつつがなく行われた。正直、学校の授業が終わってから時間を空けず面談に来て正解だった。もうドイツ語の専門の単語とか教育の知識とか、水のように頭から流れていっていたからだ。危なかった。
そういえば、面談の中で、同僚の間で争い事があったらどうしますか?といったような質問もあった。私はドイツ人の争いには参加できないと思ったので、「何も言わないと思います」と言ったはずだった。
後々知ったのだが、その保育園では女の戦いがあったのだった。私の前の保育園に比べれば全く天国のようで、理解のある優しい同僚たちだと思ったので、どこにでも争い事は起こるものなんだなと、なんとも言えない気持ちになった。
2月、すぐに自分の希望していた保育園には入れず、同じ系列の他の保育園でスタートした。そこには全くそりが合わない人が1人いて、おとなしくおとなしく時間が過ぎるのを待っていた。それが今年の話だったなんて、時間が経つのは鬼のように早い。
どうしてソリが合わないかと言うと、相手が自分にリスペクトがないのが丸分かりだからだ。やっぱりそういう人が定期的に出てくる。向こうとしては意識していないんだろうと思う。
ドイツ語をわかっていないヤツ扱いで、やたら説明してくる。自分の思い通りになっていない時は説明するのではなく、怒ってくる。
前の職場があまりにもギスギスしすぎて、また次の保育園でも同じようなことが起こったらどうしよう。せっかく免許を取ったが、もう保育士は諦めようと思っていた。しかし自分がもともと希望していた保育園に移ることになったので、もう少し様子を見ることにした。
3月、現在の職場で働くようになった。今振り返ると、もう何年も働いている気分なのだが、まだ1年も経っていないのがびっくりだ。
前の職場に比べ規模は半分ほどで、同僚はとても親切で丁寧だった。差別的な視線も全く感じなかった。特に私と同じグループを受け持つことになった便腕の同僚はとても頼りになった。
使命感にとても忠実な人なんだろうというのが、私の現在の結論だ。新しく来た同僚をサポートすると言う使命感、その使命感と私の要望(サポートしてもらいたい)がマッチしていた時期だった。後々どんだけ頭が固いのかを実感することにはなるのだが、この当時は、彼女にとても感謝していた。
4月、まだまだ職場で縮こまっていた時期、保育士のストライキに初めて参加した。ドイツでは、お馴染みのストライキだが、実際に中に入ってみると、たくさんの人でお祭りみたいだった。そしてそのお祭りの中心に前の同僚たちがいた。しかも私が1番苦手な人が、巨大な巨大なあの人が。私は思わず身を隠したのだが、それを見た今の同僚に不思議そうに見られてしまい、ちょっと恥ずかしかった。
5月、子供の父方の親戚の家に行くことがたまにあるのだが、5月は連休も多いので、ちょっとお邪魔した。いつまでたっても私は慣れなくて、いつまでたってももじもじしていて、本当にコミュ力がないなぁと自分にがっかりする。それでも前に比べればいくらかはリラックスできるようになった。外国人のパートナーがいる人は、大体、相手の家族と時間を過ごすのは、すごく気を遣って大変だと言うから、まぁそれに比べれば楽なのかもしれないけれど。
いや、それは日本人でも同じか。
6月、は次男のクマ吉の誕生日がある。毎回、誕生会は何をするか悩む。でも、夏なら外で遊べるからどうにかなる。ドイツ人は太陽が好きなので、みんなが外で浮かれだす。そしてドイツ人はアイスも大好きなので、街のアイス屋さんでおいしいアイスを試すのが楽しいのだ。
明日に続く
この時期、コツコツ書いていた本です。ドイツの現地生活総まとめ。読み放題で無料で読めますだ。