年収1,000万を夢見た子供が大人になって本当に欲しかったものを考える
子どもの頃に描いていた夢
皆さんは子供の頃に何になりたかったか覚えているだろうか。
筆者の夢は『年収1,000万』だった。
パイロット、プロスポーツ選手、Youtuberなんて職業も挙がるだろうか。
しかし、これらの職業はどれも才能に溢れた人に相応しい職である。
才能はないと子どもながら悟った筆者が思い描いた理想の未来は、
普通に働いてお金持ちになることだった。
「夢がない」と思う人もいるかもしれないが、当時の筆者にとっては
お金持ちこそが夢であり、幸せだと信じていた。
『働くこと』は金稼ぎの手段
私にとって働くとは『年収1,000万』を目指すための手段だ。
学生時代は、良い会社へ行けるよう勉学に励んだ。
輝かしい青春に時間を割くのも幸せだろうが、勉学に時間を注いだ。
苦しくても将来掴む『幸せ』の為ならば努力を続けられた。
勉学と就職活動の努力もあってか、希望の会社へ行けることになった。
『年収1,000万』を目指せる会社である。
ただ、筆者は早く夢を確固たるものにしたかった。
社会人1年目から目をギラつかせ、評価を求めていた。
理解できない評価基準
とにかく仕事量をこなした。
多くの仕事を請け負い、自ら仕事も持ってきた。
自分が精一杯できるギリギリまで動き、
結果として1年目から活躍して成果を上げることができた。
しかし、会社からの評価は良くなかった。
絶望した。ここまで動いてもダメなのかと。
悩んでいるところに先輩は
『楽できるように仕事やろう』とアドバイスをくれた。
そんな馬鹿なとは思いつつも、
これ以上の努力を積み重ねることにも限界を感じていた。
騙されたと思って楽しようと考えた。ここが筆者の分岐点だったと思う。
『楽』をしよう!
次年度はとにかく楽しようとした。
自分が持つ無駄な仕事を徹底的になくした。
唐突に発生した仕事は仲間と強力して取り組んだ。
新プロジェクトには積極的に関わらずサポートに徹した。
暇だった。暇すぎて落ちつかず、余暇に資格勉強したくらいだ。
もちろんその年は自分で挙げた成果などなかった。
しかし、評価は跳ね上がったのだ。
訳が分からなくなった。納得できなかった。
「皆が君に感謝してるんだよ。いらない仕事をなくしたり、
いろんなプロジェクトでサポートしてくれたと喜んでる」
上司に理由を問いただして帰ってきた答えは
考えてみれば当たり前のことだった。
評価は何も会社からだけではない。
直属の上司はもちろん、共に仕事をする仲間からも評価を受けるのだ。
頭では理解していたはずだったのだが、ここで筆者は体感した。
仕事とは個人戦ではなく団体戦なのだ。
評価を個人で取りに行こうとするから、
1人分の仕事しかこなせず、努力に見合わない評価を受けたのだ。
働くこととは
評価は上がり、理由も分かったがそれでも嬉しくはなかった。
『年収1,000万』への手段に過ぎなかった仕事だったが、
自分が納得する形で評価して欲しいと思うようになっていた。
働くこととはなんだろうか。
入社当時はお金のことばかり考えていたが、
今となっては働くことそのものに楽しさを感じている。
現在も筆者は『楽』している。楽して時間を持て余す筆者は
『自分のやりたい』で会社に貢献できないか模索している。
『楽できるように仕事やろう』
この言葉にはすごく救われた。
好き勝手出来るのは『楽』しているからに他ならない。
楽できたから他のことを考えられる余裕が生まれ、
他の人をサポートできる余裕が生まれる。
結果として、周りから評価される人間になれたと思う。
自分のやりたいことをやって評価してもらえる
筆者は今の働き方に幸せを感じている。
最後に
大人になってようやくわかったが、
お金があっても幸せになれるわけではなかった。
ただ、生活が便利になるだけだった。
子どもの頃に夢見ていた幸せはお金にはなく、
筆者は大人になって改めて『幸せ』を探すことになった。
まだ見つかっていないが、ゆっくり探すとする。