金曜慣例:遊び人は浮気を語る②~ポリアモリー??浮気??~
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ちょっと書こうとは思っていたんだけど、なんとなくなんとなくビビって書かないでいたんだけど、まぁやっぱり書くか!となってキーを叩き出したわけで。さて、言いだしたから仕方ない。石を投げられようとも進んでいきましょう。
最近、時々耳にするこれ関係のワードとして、ポリアモリーってのがあって。まぁ「多数愛」みたいな話。基本的にはWikipediaだとこんな感じ?
まぁそうねって感じ?つかまぁ、多くの人は単に浮気したいだけじゃん?って思うと思うんだけど。でも、この考え方、私自身はちょっと違うなーって感じることは多いんだけど、でも結構これに近いかもしれないなと思うこともあって。キーワードは「嫉妬」と「誠実」にある気がしている。
いや、なんというか、ポリアモリーを自称する人たちとか、それを実践している人たちのnoteとか記事とか言説とか時々目にして、いまいちピンと来てないんだけど、そもそも「自由なセックス」とか「自由な人間関係」っていう「自由」って部分には全然私は重きを置いてないんだよ。「自由」っていうけど、何に対して「自由」なんかね?って言ったときに、多くの場合「行動」って話っぽいんだけど、いやそもそもそれって単に一夫一妻制っていう、近現代で確立されたシステムに対する抵抗的な意味で自由って言ってるっぽいところもあって。それは、純粋に浮気したいだけじゃん?複数と関係性を持ちたいだけじゃん?って言われても仕方ないんだって。
その「自由」って、テキトーにマッチングアプリとかナンパとかで遊んでる人たちの延長線上の話になっちゃってて、そこじゃないんだよって話。たぶん、ここで大事なのが「嫉妬」と「誠実」って話なんだと思う。まず「嫉妬」から行こうか。
基本的に、私も含まれるかもしれない?ポリアモリーだけど、その当事者は「嫉妬」という感情から結構程遠いところにいることが多いように見える。これは、「私も遊ぶからあなたも遊んでいいよ」的な意味に聞こえるかもしれないけども、そういうところじゃなくておそらく「いや、そもそも人間っていう種族において嫉妬って感情意味ある?」みたいな感覚なんね。つか、少なくとも私はそういう感じなんよ。いや、例えば生物界には、交尾したら体色が変わるやつもいるし、穴や棒の形が変わるやつもいる。なんなら、棒が切り落とされて穴をふさぐみたいなことをする生物もあったりする。或いはタヌキとか鳥類とか結構顕著なんだけど、一生涯一番みたいな生物もいて、タヌキなんかは配偶者?が車に引かれたりすると、そこに何回も見に来ちゃうから残ったほうもあんまり時を置かずに引かれちやうみたいな悲しい話があったりする。んで、翻って人間よ?人間って種族、結構番の感覚に対してかなり薄い感情もってんなぁってことが多くて。つか、AVとかキャバクラとかホストとか風俗とかアイドルとかジャニーズとか、この辺全部そうだけど、番の感覚が強い生物であれば、これってほとんど成り立たない職のはずなんよ。
番の感覚が強い生物って、基本的に個に発情することが多いので、群に発情することってあんまりないのね。でも、人間はAV女優とかアイドルとか推し活とか何でもいいけど、それら全体に発情できる。ってことは、おそらく種としてあんまり番の感覚が弱いんじゃないかなー?って思う。いや、恋人いても、推し活とかAV見てるとかいう人結構多いでしょ、男女ともに。番の感覚が強い種であれば、100歩譲って相手がいない性欲の発散場所としてそういうものがあるのは理解出来はするんだけど、相手が出来たら即効で興味が失せるはずなんだよ。でも、そう脳が切り替わらないのはんーーーって感じよね。なんなら、自由恋愛を掲げているフランスとかイタリアとかでも、「結婚してからも美容や女であることを意識する」とか「結婚してからもより良い男性であることを意識する」とか、よくよく考えると、こういうことをしなきゃいけないってこと自体が、番の感覚薄いんよ。本当に番の感覚強いんだったら、性交したら髪の毛沿って丸坊主にしても大丈夫なはずで。お互いに。つか、そういう生物いるんよマジで。性交すると体の色が変わるってそういうことやからね。
いや、これ女性が子どもを作ってから、お腹にいる期間が長いため男性は他の相手を探せるように脳構造が進化していったみたいな説明する人いるんだけど、だったら鳥とかどうなるんや?雛を夫婦で育てるとか当たり前にやってて、それってその鳥という個で考えたら、さっさと女性に子育て任せて男性は他のところ行ったほうが良いはずだが?ってなってしまって。って考えていくと、そもそも番意識の弱い種族としての人間がなんで「嫉妬」っていう感情持ってんの?それ本当に強調するほど強いんか??ってなるんよ。感情じゃなくて外部刺激なんじゃないの?的な感覚があって。なんというか、今の世界だと、多くの場合、「一人で安定的に稼げる金額が不十分なので、ひとりを求めてしまう」みたいな話な気がするし、「一夫一妻制の下で、そうしたところに嫉妬の感情を組み込むことで、組み込んでいない同性と比べて明らかに家族システムの維持にプラスに働く」みたいな後天的な要素あるんじゃないのかなー?とか。或いは、「浮気されることが、私のプライドや私の格を傷つけた!」とか?そんなプライド、自分の人生が幸せかどうかに必要かーー??
いろいろ言語化した結果、私の中から嫉妬ってあんまりなくなってしまった。私が言ってる浮気の基準って「3日以内に帰ってこなかったら」だからね。一泊ぐらいしてきて良いよ別に。でも、3日帰ってこなかったら、それは私と一緒にいる日常よりも他の男といる日常が良いってことだと思うから、まぁんじゃ知らんわーってなるって感じ。
ついでにこの流れで「誠実」も話ちゃうか。私の言う誠実さって、「自分の気持ちを出来る限り言語化すること」でしかなくて、別にその結果が浮気に繋がろうが一夫一妻に繋がろうがどうでもいいことなんよ。なんというか、単にセックスしたいだけなのに、「好き好きだい好き愛してる」みたいなことをお呪いの様に唱えるのを辞めろって思うし、「一途です!付き合ってください!」って言って付き合ったなら、一途で行けよって思う。「一途って言わないと付き合えないしセックスも出来ない!」っていう人、結構いるんだけどそんなことはないというか、そういう人もいるしそうじゃない人もいるだけであって。であるならば、その一途って言葉、全く誠実さ皆無やん。つか、「愛してる」の言葉に誠実さが抜けて行くの、お前らの性やろって思うんよな。マジで、誠実的な意味で一夫一妻辞めてって思ったりもする。
さらに突っ込んで言うんだけど、みんなが言ってる「愛してる」ってどういう意味なの?って純粋に思っている。私からすると、「君と一緒に穏やかな日常を過ごしたい」「できれば今後10年ぐらいは一緒に時間を過ごせると嬉しいな」ぐらいの意味なんだけども。いや、確かに私は遊び人なので、私自身は遊び人であることを公言しているし、その上で付き合ったり別れたり遊んだり遊ばれたりしてるわけで、そこに不満はないのよ。んでも、みんなが言う「愛してる」って「一途です!」とか「セックスさせてください!」以上の意味って本当に乗ってるのかな?って思うことがすごくたくさんあって。昔から、インターネットやってると、人生相談とか恋愛相談とか聞いてることあるけども、んんん???ってなること多いんよなぁ。マジで、男女関係なく、年齢関係なく、今恋人や配偶者がいるいない関係なく、本当に自分が言っている「愛している」と「愛される」ということをセットで他の言葉に言語化したほうが良くて。たぶん、この辺りちゃんと言語化できる人のほうが幸せが近い気がするんだよなーという。
ここまで読んで、何でポリアモリーと浮気が?ってなったかもしれないんだけど、私が言いたいのって、結局浮気をするしない、されるされないって、そこまで個としての人生にはあんまり影響しないんじゃないの?って話。家族としての幸せと個としての幸せって、そりゃどっちもあったほうが良いに決まってるんだけど、別にどっちもないといけないわけでもなく。。。ほら、確かに安定的な家族が最もいいのは事実なんだけど、その下にあるのって、不安定な家族(ケンカの多い夫婦とか)ではなくて、安定的な欠損家族(シングルマザー・シングルファザー・孤児等)みたいな話なのよ。別に浮気するしない・されるされないって、そっかそっかーぐらいな話でしかないというか、おそらく生物としてそのくらいで流せる話なんで。なんというか、たぶん、言うて言うほど大事な話ではないというか。人生とか恋愛とかにおいては、もっと大事なことがいっぱいあるんじゃねぇの?って思うのね。なんというかこういう部分に私って確かにポリアモリー的な要素はたくさん持ってるけど、でも別にポリアモリーがしたいわけでもないんだよなって感じているって意味で、多分ポリアモリーからはもう少し違うカテゴリーに入ってそうだなって思うんだよね。
おそらく、みんなが思っている以上に、種としての人間ってポリアモリー要素強いんよ。だから、浮気するしない・浮気されるされないにそこまで一喜一憂する必要もないんじゃないかね?というのが、本日のテーマですわね。
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