母親と恩師に背中を押され、世界の見え方が変わったあの瞬間。こんなにも人生は豊かなんだと知った。
はじめまして。ポジウィルでトレーナーをしております、石原大暉と申します。
このnoteでは自己紹介を兼ねて、私のこれまでの人生と、ポジウィルでトレーナーをしている理由をお話ししたいと思います。
一人でも多くの人が、自分自身の人生を誇れる・大事にできる社会を目指して!
父親のいない思い出
私には父親と過ごした記憶がありません。
私が幼い頃に離婚をしたようで、父親がいないと認識をしたのも小学生低学年の頃だったと思います。それほど曖昧な記憶です。ただ、覚えていないというよりは、気にすることでもなかったというのが正確な表現だと思っています。
そう感じさせない母親と弟、祖父と祖母が私の側にいてくれたからです。
キャッチボールや、電車見学、牛丼デビューなど男の子っぽい経験は祖父がたくさん作ってくれました。母は夜に仕事でいないこともありましたが、温かいご飯や会話のある食卓は祖母が作ってくれました。
毎年海には必ず行き、テーマパークや旅行などにも連れていってもらい、経済的な不遇さや周囲との劣等感を感じたことはありませんでした。外食はだいたい地元の居酒屋で、知らない隣の席の方々と話して遊んでもらっていた記憶があります。今思うと、父親のいない悲しさを感じさせないように、母がいつも考えてくれていたんだと思います。
いつも大きく笑っている前向きな母親に安心感を覚え、ずっと笑っていてほしいと子供心ながら思っていました。
そんな私は幼少期から、大人の話を黙って良く聞く「いい子」だと言われていました。それはきっと周囲の大人に対する「私はいい子です!」というアピールだったのかもしれません。いい子でいると周りの人たちが褒めてくれます。そうすると母親が嬉しそうに大きく笑ってくれます。だから、大人の言うことを聞くこと、つまりは「自分で物事を決めない=自分自身の意思表示をしない」のは「いい子」である条件だと、無意識に私の中で正解が作られていました。
人前に立つことへの恐怖が喜びに変わるきっかけ
小学生時代は、とにかく目立たないことに必死でした。正確には、人前に立たないということを徹底していました。人前に立つと言うことは「意思表示をする」必要が出てくるからです。皮肉なもので「いい子」であるがゆえに、学級委員や、発表者、バスケ部でのポイントガードというゲームメイク役など色々なチャンスが回ってきました。それでも全て頑なに拒否して、選ばれそうになると泣いていたぐらいです。
それは中学に上がってからも一緒です。
だから私は定期的に来る委員会選出が嫌いでした。学級委員長から決めるため、決まらないと次に進まず、無言の何もない時間だけが過ぎていきます。「いい子」の私にとってはこれが苦痛でしたが、それでも私は無言を貫き通していました。それ以上に学級委員長は嫌でした。
しかし、中学校2年生の時、ある一人の先生の手によって、私は強制的に打席に立たされました。
中学校1年生の時の担任で、学年主任も務めている迫力のある力強い女性の先生です。1年生の時はとにかくこの先生から断るのに必死でした。2年生になり担任も変わったので安心していましたが、この先生はわざわざ別のクラスにやってきて、あろうことか私を指名しにきたのです。私のクラスの担任も「学年主任が言うなら」と決定してしまったのです。
今思うと、先生は周りを巻き込んで楽しそうに進めていく私を見ていて、その素質を否定し、「見ようとしない」「挑戦をしようとしない」自分に喝を入れてくれたのだと思います。
本当に大変な半年間が始まりました。今まで人前に立ったことも、全体に向かって話したこともない。そんな私にクラスの取りまとめや号令をかけることがうまくいくわけがありません。仲の良いクラスメイトや他クラスの学級委員、先生に助けてもらいながら何とか過ごしました。
ただ、いざ学級委員をしてみると、自分が思っていた以上に嫌だ、苦しいと自分自身が感じてないことに気づきました。むしろ世界が少しだけ広がって、楽しくなってきたのを今でもしっかり覚えています。そこで気づいたのは、自分自身で決めつけて行動しないことや、選択から逃げることのもったいなさでした。
自分で選択することには責任が伴います。ただ、その責任を全うした時に周囲から褒められ、認められていきます。それが違う形で母親を喜ばすことになり、「自分がこの世界にいてもいいんだ!」という感覚に変わっていきました。そして、そのチャンスが多い「人前に立つこと」自体が面白くなっていきました。
私の通っていた中学校は不思議ですが、生徒会とリーダー会という2党制で、最終的には、生徒会に並ぶリーダー会の代表になっていたほどです。
そして高校生になり、私に大きな影響を与えた演劇部に入部することになります。
どうせ同じ時間なら笑って過ごした方がいい
演劇を始めたことで、さらに表現をすることや、意思表示の大切さを知る機会に出会いました。中学校の学級委員をしていなかったら、ありえない選択です。
高校でも学級委員を務め続けました。勉強もでき、学年でトップ10くらいの位置にいたとは思います。そして演劇にはとにかくのめり込みました。割と飽き性な方ですが、演劇だけは飽きずに向き合い続けました。こんなにも続けられるものもあるんだなと知りました。
演劇部に入部したのは、「人前に立つ」というチャンスが多かったのもそうですが、人前で表現をすることに興味があったこと、より多くの人に感動や気持ちの変化を与えられることが理由です。これも学級委員と同様に、私の挑戦の一つですが、今度は自分から一歩を踏み出すことができました。
そして、自分が先生にしてもらったように、自分も誰かの背中を押せることに、楽しさややりがいを感じていたんだなと、振り返ってみて、改めてそう感じます。
本当に順風満帆な青春を過ごせていたと思います。ですが高校3年生の夏、それが一気に崩れます。
右手を粉砕骨折してしまい、手術の必要があるほどの大怪我をしました。リハビリを含めて全治4ヶ月です。国公立を目指して勉強を続けて、それが見えてきたところでの怪我です。右手は使えず字を書くことができません。とんでもない虚無感が襲ってきました。ライバルたちから大丈夫と言われながらも、心では逃げられてよかったねという声にも聞こえ、優しさからくる人からの同情の声も本当に嫌で嫌で、なにもかもどうでもよくなりました。普段は気丈に振る舞ってましたが心は笑えませんでした。人生ってあけないな、今までの努力や時間ってなんだろう、そんな気持ちでした。
そんな中、母親だけはやっぱり笑っていました。正直イラッとしました。
手術当日、予定では3時間でしたが6時間かかったそうです。全身麻酔の手術であったため、私には時間感覚はありませんでした。目を開けた時、顔がぐしゃぐしゃの母親が映りました。弟に後々聞くと今まで見たことがないほど泣いていたそうです。そして私の麻酔が解けて少し体が動かせるようになると「生きててくれてありがとう。」と再び号泣していました。
そこからの入院生活では、母親と改めてゆっくり過ごす時間が始まりました。私はゆっくり過ごしていましたが、母は仕事があったのでゆっくりではなかったかと思います。それでもできるだけ私のそばに居てくれました。
そのときに、「これからどうしようかな」と心の内を母に打ち明けました。
「どうせ同じ時間なら楽しく笑って過ごした方がいいんじゃん?」
色々と話しましたが、母が伝えてくれたのはこれでした。人はいつ死ぬか分からない。辛いことだっていっぱいある。でも起こってしまったことは変えられないし、仕方ない。嫌でもその時間を過ごすことになるなら、少しでも楽しく笑っていられる時間にした方が、同じ人生でも得してる気分になる。事実は変わらないけど、その捉え方や見え方は自分で選択できる。だからあなたが今から選ぶのは、今後の進路もそうだけど、今をどう受け止めて過ごすかも大事なんだよ。
母は説明が上手ではないのですが、一生懸命話してくれました。詳しく聞いたことはありませんが、母は高校生の時に妹を亡くしており、そういった経験を経て感じてきたことがあるのだと思います。だから母は私が骨折した時も笑っていたんだと、その時やっと分かりました。
入院生活中は暇な時間が多く、母親の言う「どうせ同じ時間なら楽しく笑って過ごした方がいいんじゃん?」についてゆっくり深く考えることができました。
そこで「自分の人生は自分の捉え方で変わるんだな」「自分が決めつけてしまっているだけで、思った以上に豊かなんだ」と気付きました。そこから気も楽になり、笑って過ごせるようになっていました。
その後はとにかく楽しく過ごすことと、自分が後悔しない選択をすることを大事に過ごしました。右手は使えないし、リハビリ生活があったため、元々行きたかった国公立大学には行けませんでした。ただ、私の目的は国公立に行くことではありません。悔しくないと言うと嘘ですが、悩むことはなくなりました。
大学ではやりたいことを自分で選択して決めていきました。ゼミや学会、サークルにアルバイト、レジャーと、上手くいかないこともありましたが、捉え方を変えて笑って過ごしました。
働くことに悩む人たちへの直面 〜自分の人生を誇れる人が増えるように〜
私は人材領域を中心に、「働く人」に関わる仕事を通して、これまでのキャリアを積んでいます。それは、新卒就職活動の際に「働くことは辛い、しんどい、楽しくないことなのだろうか?」という疑問を感じたからです。
就職活動中はスーツを着ている人に敏感になり、よく周りを見ていました。すると、多くの街ゆく人々の顔が暗いことに気づきました。そこで思い浮かんだのが、「どうせ同じ時間なら楽しく笑って過ごした方がいいんじゃん?」という母の言葉です。
働くことは人生において大部分を占めます。ここが楽しくないということは、つまり「人生を楽しめていない!」というように私の中で繋がり、気づけば人材業界に飛び込んでいました。私自身が気づいたように、そんな人を減らしたいという想いです。
大学卒業後はリクルートの代理店で広告営業を中心に企業様の採用支援を行ってきました。その後は転職をし、人材派遣会社で人事職を経験しました。人事では採用や教育を中心に、学生や社員、求職者の方々に多く触れてきました。
人事職では自身の経験値が格段に上がりました。採用業務を中心としていた時には、人からの見られ方と魅せ方の重要性を強く意識させられました。教育を中心としていた時には、ものの捉え方や自己開発の重要性を痛感しました。面接に面談と、対人で話す経験も数多く行ってきました。ただ、人事職に携わる中で何か引っかかる、モヤモヤした感覚がありました。
そんな中、「より社員のためになれば」と、キャリアコンサルタントの資格を取ることを決意します。これが私の、ポジウィルに入社する1番はじめのきっかけとなりました。
仕事と並行しながら取得するのは大変でしたが、キャリアについて学ぶことで、今までの人事経験が言語化され、学ぶたびにスッキリした感覚がありました。また、自分を改めて見つめ直す機会となり、自分の価値観など深く考えることにもなりました。何より、自分の知らない知見が増えることが楽しくて楽しくて、気づけばのめり込むように学んでいました。それは自分自身の知的好奇心が満たされることもありますが、何より困っている社員のためになれるということが嬉しかったんだなと、内省することで気づけました。
そして、学びを深めていくうちに、やっと人事職でのモヤモヤに気づくことができました。
「社員の本当の声に、求職者の本当の声に、耳を傾けられていただろうか。」
気づいた時、本当に心苦しくなりました。人事という職業柄、会社からのミッションは採用すること、定着させること、活躍させることです。これは間違っているとは思いませんし、必要だと思います。もちろんそれをすることで、活躍する人やきっかけを持つ人、うまくいく人もいます。だから否定はしません。ただ、目の前の相手を、フラットな気持ちで私自身が見ていたかというと、正直に「はい」とは言えませんでした。
「それぞれの良さがあるのに、それを我慢して無理に働くって良いことなんでしょうか。」「あなたには、こんなに良いところがあるのに”もったいない!”」「今、生きづらくないですか。」「こんなことができたら良いですよね!」
良いことを言っているようで、心の底から相手のことを思っているのではなく、すべて人事としての立場・役割・見方というフィルターがかかっていました。基軸は「相手」ではなく「会社」だったのです。自分が小さいなと思い、悔しくて虚しい気持ちになりました。
一人でも多くの人の可能性や、その人の良さを応援したい。私自身が母親や恩師に背中を押されたように、自分もそんな支援がしたい。自分を心から好きになれて、楽しく生きられる人を増やしたい。
だから私は転職を決めました。とはいえ、そうした事業をおこなう企業や組織を知らなかったため、独立も視野に入れていました。そんな中で担当エージェントの紹介からポジウィルを知ることになり、今に至ります。
最後に
あなたの人生はあなた自身のものです。あなたの選択で全てが決まります。
私は母親と恩師のおかげで、大事な選択を誰かに任せるのではなく、自分で決めることの豊かさを実感することができました。
自分で選択していくためには、とことん自分を知って受け止めること、新たな挑戦に勇気をもって踏み出すことが欠かせないと思っています。一人では大変なことだからこそ、あなたの可能性を広げるために、全力でサポートしていきます。
ただ、カウンセリングやトレーニングを通して感じるのは、「なんとか一人で乗り越えよう」としている方々が多いということです。もっと頼ってください。私も恥ずかしながら一人では絶対に無理でした。それを痛感しています。
だからこそ、一番のパートナーとして、どんなことも受け止めます。今まで話してこなかった話でも、たわいのない話でも構いません。あなたのことを教えてください。あなたのペースに合わせて対話しながら、今まで気づかなかった自分の個性や強みに出会えるように最後まで伴走します!本当のあなたを一緒に探していきませんか。
人生は思っている以上にとても豊かです。
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ぜひ、ご興味のある方は一度ポジウィルに触れてみてください。
素敵なカウンセラーやトレーナーが皆様をお待ちしております。
「どう生きたいか」でキャリアをきめる。
自分自身の人生を誇れる人・大事にできる人が一人でも多く増える社会を目指して!
ポジウィル 石原大暉
誰かの人生に向き合っていきたい、一緒に働きたい、と思ってくださった方もお待ちしております!
一人でできることには限界がありますが、同じ想いを持つ仲間が増えれば、可能性は広がります。少しでも良いなと思っていただけましたら、まずはカジュアルにお話してみませんか。
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