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【製本のある暮らし】 暮らしの中に製本があるのか? 製本の中に暮らしがあるのか?
2024年1月1日、この度の能登の地震により亡くなられた方々に謹んで哀悼の意を表します。
綴人の note にお越し頂き、ありがとうございます。
タイトル上の画像は、集英社から刊行された日本文学全集の中から、林芙美子集を手に取って表紙をデザインしたものです。
この文学全集は、私の姉が小学生だったか中学生だったかは定かではありませんが、叔父から贈られたものを、私がちゃっかり頂いたものです。
平心低頭謝罪しなければいけないのは、林芙美子さんを読んだ事がありません。なので、どういった作家さんなのかを解らないまま著書を製本したわけです。これを機会に読んでみようと思うのですが・・・。
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読んだこともない作家の著書を製本する。こんな愚かな事が、読書のきっかけでもよいのでは? と、言い訳しつつ改めて自分の小ささを認識するのでありました。
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じつはそれくらい製本というものが、私の中、あるいは我が家の中では当たり前に存在しています。本を読む前に製本をしてしまうなんて・・・。
妻も子供達も、私の製本というものを特に人に自慢するでもなく、私がアトリエに入ると、タバコでも吸いに行ったか、くらいの感じで(私はたばこは吸いませんが・・)暮らしてきました。
息子が中学生の頃、学校の文化祭に父兄の作品展示で油絵を出品したことがありました。また、カリグラフィーの活動(カルチャースクールの講師)が新聞の記事になり、息子が担任の先生に「お前のお父さんの本業は何だ?」と聞かっれたことがあったそうです。息子は、父さんは会社にも行っているし、作品も販売しているし、カルチャースクールで教えていてお金も貰っている。どう答えていいか分からなかった、と。
自分としてはまだその頃はギラギラしていて、「いつか独立!」という気持ちが溢れていました。
年月を重ね、経済面では思うようにいかず、どうしたら?と迷うこともありましたが、何より製本の知識と経験を重ね、出来ることが増すにつれ経済的な喜びを上回る感情が芽生えるのを感じ、間違ってはいないという自信に突き動かされてきました。
製本というものがもはや趣味でもなければ仕事でもない、私が生きるということのようです。
今思えば、県外に出れず県内のデザイン学校に無理を言って通わせてもらい、グラフィックデザインを学んでいた頃、「いつかブックデザインをしてみたい。」と言っていたことを思い出しました。まだ製本にもカリグラフィーにも出会う前です。やはり前世で本に関わっていたのでしょうか?
勝手な思い込み、と言ってしまえばそれまでですが、それで一人の人間が幸せになるのだから良いことです。人はそういうことを、何でもよいからそういう思い込みを持って暮らしていけたら幸せですね。
それでは今日はこのへんで。
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。