気仙大工の技術を継承する木彫職人佐々木淳一氏【第2-2部】
今回は先週に続き三陸気仙エリアで農民から始まった気仙大工の技術を受け継ぐ木彫職人佐々木淳一さんの取材を掲載させていただきます。
もし先週の投稿を見られていない方がいらっしゃれば是非先週の投稿から読んでいただけますと嬉しいです
見本も現物もない。それでも再現する技
新聞広告から再現した木彫釈迦如来
その後佐々木氏は本当に色々な木彫の作品をみせてくれた。
佐々木氏:これはな。新聞でみた釈迦如来を木彫で再現をしてみたやづだな。
私:新聞?え?何か見本とかは?
佐々木氏:ない。
私:新聞の広告?をみて再現したんですか?
佐々木氏:んだ。新聞みてなんとなくこうなんじゃないか?と後ろとかはもう想像しているところもあんだけど。意外となんとかなるもんだなwって思った。
私:普通ならないですよw。だって。この細かい部分なんて広告ではみえないですよね。教科書とかはないんです?
佐々木氏:ないな。でもきちんとできてっぺ。
例えば神社とかで火事になったりすっと突然だから何も残ってなかったり。もう古い写真とかしかないときもあって。
私:それでもなんとかなるんですか?
佐々木氏:なる。
私:その場合新しいものとかにはしないんですかね?
佐々木氏:例えばな。そういう時に京都とかの巨匠みたいな人に依頼したらその人が作れる釈迦如来が届くといわれたらしく。
釈迦如来の顔は地域によって違うからな。やはり今までの釈迦如来がよい。となって俺のところさ相談にくる。
私:なるほどその思いに応えるわけですね。
佐々木氏:その思いは凄くよくわかるからな。
なんとか応えなくてはと思うしな。そしたら意外となんとかなる。
私:いやー。なんか凄いですね。
佐々木氏にとっては木であればなんでも作れるようだが、絵が書けないそう。絵を書く才能がないそうで。この木彫しかできないと笑うシーンもあったが、見本もなくこの釈迦如来の細部までの再現性など本当に感服する。この人が何故?絵が書けないかが不思議に思う。
新しいものに木を蘇らせる
佐々木氏:これは木と鹿の角でつくった杖だ。杖をおしゃれに使いたい人にはいいかなーと。
私:本当になんでも作るんですね。おしゃれ。
佐々木氏:これも木の個性。カッコいいだろ
私:本当に木も深いんですね。
佐々木氏:そう本当に色々あんだ。このぬくもりを消して色をわざわざ入れることはない。
佐々木氏:これはな。野球のバット
私:バット?
佐々木氏:そうこれはバットなんだ。バットが折れるときがあるでだろ?
その時に折れたバット。このまま捨てるのも。と持ってきてくれた人がいて。何本も。このまま廃棄したらかわいそうだがらな。バットも。
私:バットがかわいそう?木だから?
佐々木氏:そうだな。バットの木は本当に丈夫だし、すごく良い木をつかっていて。せっかくバットになったのに折れたからといってこのまま捨てられるはかわいそうだ。どんな風にもう一回使ってもらえるようになるか…
3か月考えて。これになったんだ
私:3か月折れたバットの新しい使い方を考えたのですか?
佐々木氏:きれいにできてっぺ。それ。
私:はい。きれいです。バットだったとは思えないですね。ちゃんとよみがえってっぺ。
この人は。佐々木さんはまるで木と会話をして、いろいろな木に出会い、そして木を他のものに形を変えて、木の個性を生かして。作品を作る。
佐々木氏にとっては木は命。いや人と同じで自分の生活のなかで接する人。
そこにはきっと人格のようなものが見えている。
どの木なのか?どんなものにしていけばよいか?などを考える。だからきっと作った作品を記憶しているだろうと思った。職人という言葉は正しいが。
僕らの代わりに木と会話をしてくれる人
それが佐々木淳一氏。そう思えた。
佐々木淳一氏の木と向き合う日々は続く
【木彫のことなら】と声がかかるようになる佐々木氏
佐々木氏:木彫のことなら、木のことなら。と。どこから聞いたのかわからないが相談がくるようになりました。
私:向こうから。
佐々木氏:そうなんです。こんな状態だけどできるか?やこの木を何かにつかってくれとか。色々です。
私;そうですね、こういうのやっている方も少ないですし、ここまで多彩に木彫をしている方なら必要な人には声がかかる気がしますね
佐々木氏:そしたら難しいこととかやってないことでも。相談にこられた以上できる限りを応えるだけですね。
木と向き合う日々は続く
私:佐々木さん今日は本当にありがとうございました。
ちなみにこの仕事は何歳まで続けるおつもりでしょうか?
佐々木氏:私が死ぬときもしくはこの前が見えなくなったときまでですかね。
私:wそんな気がしました。
弟子もとらないですよね?
佐々木氏:とる気はないですね。今やっていることで十分。木彫の会でも昔は私が一番若かったけど、今65歳になってもまだ私が一番若い。
この街で少し若い方が移住して木彫をやっていると聞きますが、私はどちらかというと今度はどんな木でどんなものを作ろうか?を考えるだけなので
そしたら噂を聞いて相談に来てくれる人がいらっしゃって。それがたまたま生活になった人間なので
どんなものを作ろうか?それだけでよいですね
佐々木氏と会話をしていて、私も佐々木氏が売れるものを作ろうとか木彫のすばらしさを伝えようとかそんなことではないもの、木と向き合い、どこかそれをただ楽しんでいる。そんな日々。まるで趣味を見つけた子供が趣味に没頭していくかのように。そんな方だなと思えた。
だんだん目の前にあった木彫の天神がまるで佐々木さんそのものに見えてきて、満足そうな表情が今の佐々木さんの信条を物語っているかのように見えた。
私:今日はありがとうございました。とても面白い話を伺えました。
本当に楽しい時間でした。
佐々木氏:どんでもない。こちらこそありがとうございます。人の出会いに感謝しております。
そういうと
佐々木氏は頭をさげた。
私から気仙大工の話を聞きたいとお願いをしたのにも関わらずに。
出会いに感謝。
35年間この出会いに答えてきた佐々木氏の人生をまた垣間見る瞬間だった。
きっと今日もまた佐々木氏は色々な木と向き合い、会話し、何に蘇らせようか?を試行錯誤しているに違いない。
佐々木氏の目がみえるうちは佐々木氏の木と向き合う日々は続いていくのだろう。
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