南依岐の作品世界が6割くらい理解できるようになるnote
このnoteは藝術家 南依岐 @ibukiminami_art の作品世界を見る愉しさをできるだけ平素な言葉で表すことに取り組んだものです。
南依岐の個展は見方が分かると映画5本見た後の気持ちになれる。
でもガッツリ抽象画なので南依岐作品がよくわからない人も多いと思う。
これを見て。彼の作品。何が見える?何に見える?
俺も最初は「抽象画ってCOOL…」程度の感想だった。だけど見方が分かったら膝に力が入らなくなるくらいの衝撃だった。
それはまるで「孫悟空がドヤ顔で飛び回ったけど仏の手のひらから全く出ていなかった」みたいな感じ。それくらいの心的スケール感が南の展示にはある。作品のコンセプトはArt Core=藝術の核、全てのアートが生まれる源流のようなモノそのものを表現しようとしている。「へー…?」って思うだろ?俺もそうだった。
俺たちは日常・非日常を含めあらゆる場所で心が動いたり表現をしたりする。巨匠による歴史的芸術作品たるモナリザから、夜中に友達と通話しながら吸う煙草の白い煙のエモさまで。これらは全て、人間から生まれた表現物と言えるよな?
どんな表現にどんな感動を覚えるかなんて人それぞれじゃん。俺はモナリザよりお前らとスペースしてる時の煙草の方がアート的でエモい。不思議じゃね?これまでの数千の歴史と数億の人間達が、それぞれに得てきた感動が、表現があったはず。
もしかしたら、ルーブルのおじさんがモナリザを見て思う感動と、俺が仲間と吸う煙草の感動は同じかもしれない。
じゃあ、この感動ってどこからきてるの?モナリザも煙草も感動を引き起こしたトリガーでしかないじゃん。どこかにあるんだよ、人類が数千年かけて得てきた”何か”の根源が。何か、それは時に”感動”、”エモさ”、”アート”、”表現”と呼ばれる。俺は南の作品を通しそれら全てをひっくるめて”藝”と呼べると感じた。
じゃあ、”藝”ってどこから来てるの?どこからみんなに供給されてるの?どこかに、ある種”配給元”のような源流、根源(=核)があると思うとやばくない?それって見たことある?ないよね。それを目に見える形で表現しようとする奴なんてどこにもいない。南依岐をのぞいては。
南の作品はキャンバスにマーカーで設計図が書き起こされる所から始まる。これこそが”藝の核(Art Core)”から産み落とされた、人類が得てきた感動、表現、アートを提供・あるいは構築するための設計書。”アルゴリズム”と、南は呼んでいる。
アルゴリズムは様々な要素が繋がった設計図だ。詳しくは本人にしかわからないが、OPRは"オペレーション(=実行?)だし、HTKは南の奥さんの初香さんのことっぽい。
モナリザを見て思う感動も、煙草のエモさも、全て”藝の核”から供給されてるとしたら?
モナリザの感動は、現在に至るまでの歴史やダヴィンチの生涯その他諸々を介してルーブルおじさんに供給されてるとしたら、設計図にはその供給までの流れ全てが含まれていることになる。
煙草の感動は俺の人生や、煙草の化学物質を介して俺に供給されているとしたら、設計図にはそれら全てが含まれる。
でも、アルゴリズム(設計図)だけじゃ感動は起こらない。だって、煙草を吸ってエモってる人にその人の人生の歴史とか煙草の組成を語っても「はぁ…?」でしょ。その人の過去もニコチンも、煙を吐く時のエモさのために不可欠なのに。
設計図だけじゃ感動できないんだよ。
だから、南はアルゴリズムを俺らが知覚できるように可視化する=色を塗る。
アートコアから供給された、機械語のようなソースコードが、俺らが理解できる色、質感に変換される。
それが南のキャンバスに再現されている。どうかしてるだろ?
考えてみて、その南の表現が例えば銀座のギャラリーで個展という形で行われるとするじゃん。
その表現って、どういうふうに始まって、どういうふうに見る人の感動に変わっていくの?銀座の歴史や、ギャラリーのオーナーの生涯も、今の日本の社会の空気、どれが欠けてもここで得られる感動って存在しなかったよね?
その全てが、銀座の個展の作品の設計図(アルゴリズム)には含まれてたんだよ。
南による他の展示でも同じだ。
南が展示で扱うテーマがいかにアートコアから供給されるか、その様を、展示場所の全て、この現在の社会の全て、来場者である我々の全てが含まれた設計図から構築された作品で表現される。
・銀座個展:https://twitter.com/ibukiminami_art/status/1585698364829880320
それだけじゃない。作品一つ一つが、より大きなアルゴリズムを構築する設計図だとしたら?
南は巨大な200号キャンバスを制作することも珍しくないが、それもまたアルゴリズムの1マスにすぎないとしたら?
この銀座の個展が日本のアートシーンの設計図、ひいては人類の全て、宇宙のすべての設計図の1マスだとしたら?
いや、考えなくてもいいのかもしれない。考えなくても煙草は美味い。家族との時間は暖かい。人類史はずっとそうだった。
南が表現しようとするもの、それは宇宙であり、なんともないことであり、日常であり、エモさであり、あるいは言葉で表現不可能な何かだ。
それらを知ってもらった上で、もう一度この作品を見てほしい。何に見える?何が見える?
後書き:こんなクソ長い具体的な説明を1文字も使わずに表現するのが抽象的な作品の力だ。南は、抽象画を描くためにアメリカで具象画を学び続けた。
抽象化された概念は数億バイトの情報の媒体となる。俺はこれ以上畏怖を感じる表現物を知らない。
そんな脅威のむっちりボディ、南依岐たその作品世界が東京で見れるぞ!! 11月30日〜西武池袋で個展開催! COLOR GANG!池袋でカラーギャングて!!いぶちゃんさァ!!B-Boys入んなよ!!!
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