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人の文章をとやかく言ってきた編集者が自分のことを書くと…

編集者やライター友達の間で、「SNSが苦手」というのは良くする話です。

もちろん人によるのだと思うのですが、文章を書くことを職業にしている人は、「お金にならない原稿は、一文字たりとも書きたくない!」って断言する人もいれば、「依頼がないと何をかいていいかわからない」って言う人もいます。

わたしもテーマやお題がないと原稿が書けないし、写真も付けるとなると、写真の良し悪しがわかっているだけに、「自分が撮った拙い写真なんて、人に見せるようなものじゃない!」なんて、職人ぽいことを言って、ほとんどやってきませんでした。

そもそも私に至っては、仕事を始めたのが少女漫画雑誌の編集で、そのあと俳句や短歌の書籍の編集だったので、長い原稿を書くことはあまりなく、書いても担当作品の紹介とか映画コーナーの紹介記事くらいのものなので、いきなり「自由に書いて」って言われてもなにも浮かばないし、ましてや自分のことを書けって言われたら「絶対無理!」って思ってました。

つまり、「編集者」なんて言うと、「原稿を書くのが得意なんでしょ?」って思われがちですが、実はどういう本にどういうページを作って、どう売れるようにするかを考える人なので、あんまり文章を書いていなかったりするのです。

でも、ライターが書いてきた原稿には「ここはもうちょっと自分の意見も入れて…」とか「ここはもう少し具体的な例を…」とか、偉そうに修正依頼をするというお仕事なんです。

あ、もちろん現役の編集者さんたちは、自分で原稿も書ける優秀な方がいっぱいいらっしゃると思いますので、あくまで私の場合は、です。

それで、今なんでnoteを始める気になったかと言うと…、気分ですかね(笑)

めぐり合わせで、そうする時期が来たということなのかもしれません。

こんな身も蓋もない駄文を誰かが読んで、「時間の無駄だった!」って怒られたらどうしようとか、「編集やってきたくせに、面白くない文章だな」とか言われたら嫌だとか、そういうことがだんだんどうでもよくなるのが、50代という年齢なのかもしれません。

結婚と出産を機に出版社をやめて以後、地域雑誌の編集をすることになりました。そうすると商店会の米屋のお父さんとか、お店を立ち上げたばかりの八百屋さんの思いとか、町の古本屋の歴史とか、出版社にいた頃には絶対出会わなかった人たちの話がめちゃめちゃ面白いことに気づいたりしたんです。

それで、もしかしたら私が日々感じてることとかも、自分ではつまらないことをぐるぐる思い巡らせているだけと思っていても、ちゃんと言葉にしたり、形にしたりしたら面白いのかもと思い始め、とりあえずやってみようかなと。

ブログを立ち上げて発信するほどでもなく、SNSでは書かない長文を書いてみる。誰かが見てくれたらいいし、自分を見直すにもいいのかもしれない…。

そんなことを思いつつ、つれづれなるままに書いて行ってみようと思っています。

これを読んでくださった貴重な方が、編集者のくせに下手くそだな〜と思ったら、人のものをとやかく言うのが仕事なので、自分のことは判断できないんだと思って、温かい目で見てやってください。

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