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今後、書き込みたい小説の前書きとあらすじ

僕の実体験を整理したくて、小説にしようと考えています。

それは、昭和には隠蔽という言葉が当たり前のようになかったんだろうと結論づけた体験です。因みに、結論づけることができたのが数年前のことで、それを小説にまとめて、なんとか自分自身に落とし込めるようにしたいわけです。

身バレしないようにフィクションやフェイクを織り交ぜますが、皆さんに読んで欲しいのです。


【タイトル】 

集団暴行は容易く隠蔽された。その後、被害少年は復讐を成し遂げた。

〈前書き〉

空手は中華人民共和国が唐の時代に琉球人が取り入れた。
手に武器を持たずして、敵と立ち向かうために、唐手(からて)から空手(からて)へ表記を替え、日本に広めた説が語られている。
また、琉球人たちは、中国をはじめ、東南アジアとの貿易で繁栄する手段のひとつに、〝武器を手放し、楽器に持ち替えて〟来島する諸国の客人を音楽や琉舞でもてなす国策があり、これに見合っていると考えた。

それに加え、空手の達人は自らの身体を武器化すべく、全身を鍛え抜いた。
古武術では棒やサイ、トンファー等の武器を用いることもあるが、あくまでも、身体の一部にして戦うという理念があるようだ。
要するに、弓や鉄砲といった飛び道具は使わないで敵を倒すことに徹していたのだ。
すなわち、当時の琉球人は武闘派気質を持ち備えていたといっても過言ではない。

恐らく、そんな強さを持つ一方で、国益、経済力を高めるために王朝役人、貴族たちは前述した、〝おもてなし〟のため、日々三線を奏で、上達することに努めていた。

その反面、庶民は音楽や三線の演奏を控えさせられ、農業、漁業等に勤しむよう、王朝から圧力をかけられていた。既に、格差社会である。

その慣習は昭和の時代にも根強く浸透しており、第二次世界大戦後でも「あしばーじゃないよね(怠け者じゃないのか、或いは、ヤクザじゃないのか)」と、庶民が自由に音楽活動が可能になった時期でも三線が趣味の人を上流層への反発と疑うことすらあった。

その格差は、男尊女卑が含まれており、三線や舞踊家、歌い手も男性中心で、暗黙の了解だった。
また、儒教的思想も加わっていて、家族の中では、父長が当たり前、かつ、長男至上主義で、社会では年齢が重なる程に地位が高まる空気感が漂っていた。
例えば、著者自身は親や姉、兄たちに逆らうことができないように追い込まれ、母親とのトラブルで、客観的に母親にミスがあったとしても、「私は子供には謝りたくない」と、感情を顕にするのだ。
そんなやり取りを見る父親は「お前は人のいうことが聞けない人間」と、レッテルを貼るのだった。

著者は兄弟姉妹の中で一番下の立場であったため、物心ついた時から両親、姉兄たちから虐げられるレールに乗せられていたのだ。

両親さえという理由は、著者が成人を迎え、家族、配偶者と子供ふたりを持った時に母親は、その子供たちにに対し、比較はしないで欲しいと嘆願すると、「私はそんなことはしない」と、いうのだが、直後に「下の子は上の子のように勉強頑張って欲しいさぁ」と、口にしたのだ。
著者はすかさず「それが比較してることだ」と、反論すると、それが無意識だったと気がつくのである。

しかしながら、母親がその無意識な判断を修正したのか、修正できたのかは、知る由もない。

そういった、社会構造、家族構造で育った著者は幼少期から外弁慶となり、小学校では番長となった。

番長といっても、弱者虐めを嫌い、売られた喧嘩には立ち向かう、結果的に暴力でマウントを取り、所謂、スクールカーストの頂点に持ち上げられた。

しかし、それが裏目となり、大事件が起こるのであった。

歳が二つ上の不良グループ13名にリンチされたのだ。

〈あらすじ〉

第二次世界大戦後、アメリカ世と歓喜や嘆きの声が混在した沖縄では、米軍人に対する商売で繁盛する者がいた。逆に、理不尽に傷害を負わされたり、不同意性交の被害を受ける女性もいた。
更には、そんな悪党米軍人への反発からコザ暴動が引き起こされたり、日本復帰運動を展開する政治家を米軍は共産党員と虚偽的に決めつけ、長期に渡り収監する等、県民を混乱させる社会が生み出されていた。
そんな中、沖縄が日本に復帰した直前に、産まれたヒデユキは、物心がつくと米軍人の祖国帰還によって空きが出た外人住宅に住んでいた。
その頃のヒデユキは、まだ居残っている米兵家族を怖がっていたのだ。
両親や親族の大人より体格的に大きく、縦にも横にも。喋っている言葉も違う。特に、黒人女性は肌の色の違いも加わり、とてもとても、この世のものではないと震え上がっていたのだ。

一方、両親は英語が喋れていて、米兵は勿論、その家族とも友好的に接することができた。しかし、ヒデユキには、その人たちが何故、この地で生活しているかなぞ、説明されることがなかった。

要するに、ヒデユキの両親は米軍人の存在を至極、当たり前のことで、その人たち向けの商売で恩恵を受けていた側だったのだ。
もっというと、その両親は戦争の影響で高校へ進学することができず、中卒ながら米軍基地内で仕事に就き、言葉を覚え、人脈を広げていた、所謂、戦後の成り上がりだったのだ。
その反面、本来は敵視されていた人々と働き、仲良くなり、生計を立てているわけであるから、周囲から色眼鏡を通して見られることもあり、ストレスを抱えていたのも事実であった。

そんな両親に育てられたヒデユキは、姉と兄がおり、末っ子で、親からの頼みごとはそのふたりから、雪崩のように振りかぶり、衣服や遊び道具さえ、お下がりで、自分自身が欲しい物は殆ど与えられなかった。
その背景には、前述したアメリカ世の影響は皆無だとはいえないが、沖縄に根付いている、歳上は尊い、長男至上主義といった儒教的思想が大きな要因であった。

日頃からヒデユキは、姉兄との喧嘩では、「歳下が反抗するな」と怒られ、食べ物の取り合いでも「歳下は我慢しろ」と怒られる。
両親は当たり前で、歳下を虐げるという思いは持っていなかったのだ。
ヒデユキは小学校を上がる頃から、早く大人になりたい、早く家を出たいと考えだし、幼稚園児の頃から外弁慶になっていた。

家の中では、〝言い付け〟に従い、外ではそんな状況を作るまいと振る舞っていたのだ。

例えば、幼稚園入園の初日に、同年のふっくらした女児の前腕を捻って泣かせ、母親の耳にそれが伝わると、そうしてみたかったとしか答えず、「弱い者虐めはだめ」と注意を受けるも、矛盾を感じながら頷くだけ。直ぐ傍にいる教諭には良い顔をして見せる。

幼児としては巧みに、自分自身の立場を優位にいれるよう努めたのであった。


それは突然のできごとだった。

ヒデユキが小学校6年生の冬、沖縄では冬といっても、殆どの小学生は半ズボンに薄手の長袖シャツで屋外で遊ぶのが通例だった。

そんな姿で、友人を合わせ4人で自販機の冷たいジュースを買おうとしていると、学ラン姿の中学生3人が現れた。

「お前がヒデユキか、俺たちと来い」

ヒデユキ以外を無視し、その中学生の1人がヒデユキの肩へ腕を回してきた。

殆ど人通りがない墓地へ連れていかれたのだ。

沖縄の墓地は、そうではない地域はあるが、門中墓で一軒家以上の大きさで、かつ、その墓地の前は、自家用車が数台駐車できるように広さが確保されているのだ。

ヒデユキが連れて行かれた墓地は、通称〝クロハカ〟といわれており、小高い丘の上にあり、周辺は木麻黄の林に囲われていた。

ヒデユキは上着を脱がされ、上半身は裸で1人が羽交い締めし、1人が素手て腹を殴り始めた。

しかし、ヒデユキは殴られる瞬間に力を入れ、殴った中学生が拳を痛がった。そして、もう1人に代わって、腹を殴るも、ヒデユキには効かない。

そうやって、ヒデユキが凌いでいると、徐々に中学生が増えていった。

「効かないぜ、こいつ」

最初に腹を殴った中学生は、自分が履いている、ハイカットのスニーカーを脱ぎ両手に持ち、背中を叩き始めるのであった。

〝こいつ1人なら絶対に負けない〟と思うヒデユキは、恐らく、表情にその思いが浮出ていたと思われ、次々と周辺にいる中坊たちも同様に靴底で背中を叩き始めたのだ。

〝こいつら、絶対一対一では負けない〟と、ヒデユキは怒りを心の奥底で抱き、涙は流すまいと両脚で大地を踏みしめていた。

どれくらいの時間、叩き続けられたのか、ヒデユキの背中は内出血だらけで、何箇所かは皮膚が破れ出血している部位もあった。

その夜、帰宅したヒデユキは目眩に襲われて、姉の前で倒れ込んでしまい、両親へもリンチにあったことが発覚した。
即、総合病院の救急へ連れて行かれた。

また、病院へは親が学校へ連絡し、校長が駆けつけていた。

「お父さん、お母さん、このことは警察沙汰にはしないようにして下さい」

ヒデユキは校長の予想外な屈辱的な言葉が耳に入り、両親がそれに従う姿に憎悪を覚えたことを必死に悟られまいとした。

それから10数日後に、ヒデユキと両親、校長をはじめ、担任教師の複数と加害中学生13人とその中学校の教師陣で、小学校の会議室に集まり、会議が設けられた。

結果、ヒデユキへ謝罪の言葉が伝えられるも、納得のいかない内容だった。

ヒデユキはその春にはその中学校へ入学することが決まっていたが、同時にその13人への復讐を強く誓うことになったのだ。

命懸けの復讐劇となった。


つづく


注)実際には復讐はしていません。そうしたい気持ちは事実でありました。また、集団暴行を働いた13人の名前は覚えていません。
若干、顔は覚えていました。
40年以上前のことですから、相貌は変わり果てていると思います、僕も含めて。

次回から物語の本文になります。結構、暴力的な生々しい描写があると思いますので、嫌悪を覚える可能性が予想されます。

そんな方々は、目にされませんようご注意下さい。
また、有料の形を取らせてもらうかと考えています。

何卒、宜しくお願いします。

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