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風呂に入れるのは自分だけだから

私は先日、とんでもない発見をした。
それは、「他人は私の代わりに風呂には入れない」ということだ。
言い換えたら、他人が私の代わりに風呂に入っても、私の体はきれいにならない、ということだ。

世のなか面倒くさいことだらけだ。シャツのボタンを留めること、エレベーターに乗った時に同乗者のために開くボタンを押すこと、食べること、寝ること、皿を洗うこと。
特に風呂に入るのが面倒くさい。面倒くさくてさぼったら、次の日にものすごく後悔するのだからタチが悪い。
皿洗いなら他の誰かがやってくれたら解決するのに、風呂だけは、友人Cに「ねえ、面倒くさいから、私の代わりに風呂に入って来てよ」と言っても、意味がない。
実に面倒くさい。
電車で隣に座った人、体がくっつきそうなくらい近いのに、他人だから、絶対に私は隣の人になれないし、その人は私になることができない。
生まれるってなんとなく残酷だと思った。一度生まれてしまったら、この体でどうやったって生きていくしかないのだ。この体が明日も動くように世話してやんなきゃならない。生まれたときからずっと世話してやらないといけない。
だから私は今日も風呂に入る。自分の体で。めんどくさいけど。

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