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コンプレックス 8


■コンプレックス8
 
泊りの勤務もあった。
別に泊る必要性も無く、その日帰って、翌朝来ても大丈夫なのであるが、一応そういうことはしてはならず、仕事が終わったら部屋で休み、翌朝は5時半くらいから朝食のスタンバイである。
 
何があるか分からないので、どんなことがあったとしても、最悪でも泊まりのスタッフでなんとかしてもらおうということだと思う。
 
フロントはナイトが2名と、ベルのおじさんで、合計3名、

キッチンも同様に一人が泊りのシフトになっていたので、夜中には5名はいるシフトになっていた。

ルームサービスが23時までの対応であったが、専属のバイトスタッフもいたので、いつも、仕事が一段落すると、まかないを作ってもらい、キッチンの泊りと一緒に飲んだ。
 
驚くべきことに、この楽しい晩餐に、フロントのナイトもよく参加し(別に招待していないのに・・・)、
更に驚くことに、彼は(特定の人では無く、皆である・・)ビールをガンガン飲んでいた。

これでおとなしく寝ればいいのであるが、
いつも調子が出てしまい、
更につまみを追加し、今度は「かし」を部屋に変えて飲むわけである。
もちろんキッチンの泊りも一緒にである。


毎週のことであり、決してナイト勤務が珍しいわけでも無いし、
特別楽しみにしていたわけでもないが、
おとなしく寝ることは、どうしても出来なかった。
キッチンも同様である。であったと思う・・と、いうべきか・・、
 
フロントとキッチンと3人で、神保町まで呑みに行ったこともあった。
ナイト勤務の日に、その晩餐で盛り上がっていること自体が問題なのに、更にタクシーを呼んで出掛けて行ったわけである。
 
あったというと珍しいような表現であるが、回数的には結構行った。
その店は、中華料理屋で、海老チリソースが、何故か「海老のケチャップ煮」と表示してあったのが忘れられない。
 
森進一が若い頃、その店で働いていたそうで、写真が飾ってあった。あの店は、今でもあるのであろうか?
 
ボクは、その店で初めて泡盛という酒を知った。
フロントのI氏が、「笹川さん、これ飲んだらきくで~!火がでっぞ!」
とか言って喜んでいた。
 
彼はボクよりも年齢が上で、住まいも近かったので(彼が野方でボクは新井薬師)、プライベートでもよく飲んだが、ヘラヘラしている割に、仕事は出来、なんと驚くべきは英検1級を持っていた。
それも独学で、ホテルに入ってから、取ったそうである!
会話はペラペラであった!
一緒に酒を呑んでいるときに、そのような片鱗は全く感じることが出来ないのが、また不思議である。

夜中に火事になったら、救護をしなくてはならない…
なんてことは、考えたことは一度も無くて、
「もうこれ以上飲めない…」というとこまで飲んだ。


よく翌朝ちゃんと起きられたものだと思うが、
時々、キッチンが起きてこないことがあった。
いよいよ不味い!というタイミングで起こしてやったが、
「ば~か!」とさんざん冷やかしてやった。
 
ナイト明けは、朝食が終わると仕事終了である。
仕事の疲れよりも、前日の飲みすぎと睡眠不足で、
いつもギリギリの状態でやっていたので、終わると心底ホッとした。
 
一人住まいのアパートに帰り、またもやビールを飲んで寝る。
目が覚めたら、よっしゃ飲みに行くぞ!というパターンであった。
 
いくら若かったからといえ、こんな節操の無い生活をしていたら体にいいはずも無く、ある時夜中に胃に激痛が走った。
あまりの痛さに体は完全に海老状態、真っ直ぐになることが出来なかった。
 
脂汗が流れ、激痛と戦った。
正直、死ぬのか?とも思った。
仕事は当然休んだ。動けないのに行けないからだ。
「う~、う~」とうなっていたが、
症状が落ち着いたところで、藁をもつかむ思いで近所の医者に行った。
 
「死ぬかと思うほど、胃が痛くなって・・・」
と、青ざめた顔で医者に訴えた。
 
その医者は、聴診器と触診をしたくらいで、
「こりゃ胃炎だね。あれだよ、くにのオッカサンが心配して、信号を送ったってことだよ! しばらく不摂生はやめて、勿論酒もやめて、静かにしてればすぐに治ると思うよ。 あ~、ありがたいね、オッカサン!」
と、言ったのである。
 
今であれば、「オイオイおっさん! 冗談はやめて、もっと真面目に診断結果を伝えてくれよ!」といいそうであるが、
当時の私は、その言葉をまともに信じた。
「そういうことだったのか・・・」と、帰り道は目に涙を浮かべていた。
 
そして、たしかに、すぐに回復した。
しかし、元の悪いスタイルに戻るのにたいして時間は掛からなかった。
完全に意思薄弱である。
 
とにかく酒が好きだった。
また、酒には強いという自信があった。
これがイケナイ!
よほど、バカのみしなければ、その日はOKなのである。
・・・・・寝るまではとりあえずOKなのである。
しかし、翌日は地獄であった。
でも、若いので時には(時にはか?)バカのみもしたのである。
ある瞬間から記憶が飛んでしまって、全く憶えていない・・・
なんてことは、しょっちゅうであった。
 
記憶に無い時間のことが、後からジワジワ耳に入ってくるというのは、これはなんとも辛いものである。
味わった者にしか分からないであろう(偉そうに言ってる場合でないが・・)。
 
キッチンの同期と泊り明けに呑みに言って、紹興酒を二人で3本あけたこともあった。
たまには、他のホテルの料理を食べに行こうか!と、
その同期と新宿プリンスのアリタリアに行き(ここの料理は本当においしくて安くて、私はしょっちゅう行っていたのであるが・・・勿論相手はいつもきれいな方にきまってまっせ・・?)、
我々は料理をもの凄い勢いで注文、勿論ワインも注文したところ、
その注文を受けた若い女性スタッフが、とてもスマートにワインを抜いてサービスしてくれた。料理のサービスに関しても申し分の無い、とてもいい感じであった。
 
すると「キッチンの同期」は、すっかり感動してしまい、
「僕はあなたのサービスに感動したので、これは僕の気持ちです!」と言って、彼女に2,000円裸で差し出した。
 
彼女は、「お、お気持ちだけで・・・」と、とても困ってしまった。
 
正直、私もいささか驚いた。
なんでこういう流れになるんだ・・・しかし、彼の純粋な気持ちなのである。
 
敵はもう酔っ払ってヘロヘロになっていたが、
「い~から、い~から!」と言って渡してしまった。
 
客の立場になった時、本当にうれしかったので、その気持ちをなんとかして相手に伝えたいものなのだ。
 
ワインも2・3本飲んで、すっかりハイになっていたこともあったんだと思うが・・
 
今でも酒は好きであるが、当時の半分、いや 1/3 くらいしか呑めなくなった。イヤ呑まなくなったと思う。
 
適量が分かったということでもある。

https://note.com/rich_duck373/n/n7dff5955bed5


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ササピー
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