コンプレックス 25
■コンプレックス 25
赤坂のカナダ大使館の地下にシティークラブオブ東京というビジネスクラブがある。
友人がそこに勤務していた。
CCAインターナショナルが経営する外資系のビジネスクラブである。
日本には、大阪と東京の二カ所しか無かったが、その時神宮に新たなクラブ開業が決まっていた。
そこの料飲の責任者をさがしていたのだ。
ボクを面接したのは、
当時シティクラブの総支配人でアジア地区の責任者をしていたAヘップバーン。
彼は、非常に気難しいイギリス人であった。
勿論面接は全て英語である。
彼のブリティッシュ・イングリッシュに対して
「受け身」ではボロが出てしまうと思い、ボクは瞬発力で勝負した。喋りまくったのである。
「間」をあけてはダメだ!
と、思いながら 気持ちを相手に伝えるように
とにかく喋りまくった。
幸い、その作戦が功を奏し その気難しいAヘップバーンに気に入ってもらえたようだ。
新しいクラブの料飲の責任者として採用してもらうことが出来た。
今までオープンは何度も経験してきたが、ここの場合は勝手が大きく違っていた。
なにしろGMがアメリカ人女性で、日本は初めてで全く知らない・・・日本語も全く話せない・・・
そして多くの女性がそうであるように、
彼女も機嫌がいいときはいいのであるが、
ささいな事でヒステリーをおこして泣いた、そして吠えた。
私は毎朝彼女に
「レネ!なんて素敵なジャケットだろう、日本では見ないデザインと色だね!」
「レネ!今日は、表情がイキイキしてるね!」
なんて歯が浮くようなセリフを、何でもないことのように言った。
実際、その「お愛想」は顧客に対してもとても効果的に役立った。
外国人の女性に対しては、自分が感じたことの10倍をパフォーマンス付で思い切りよく大胆に言うことが大事!
これは、フェヤーモントのG藤部長から伝授してもらった。
この時代に、大変素晴らしい出会いがあった。
アリさんとの出会い、そしてノブさんとの出会いである。
アリさんは、有福さんが本当の名前。
当時、南青山に「ランプライト」というライブハウスを経営していた。
自身がジャズ・ピアニストであり、経営者であり、そして音楽プロデューサーもしているという非常に多才で面白い人だった。
彼は、赤坂のシティ・クラブ東京のバーで週に何回かピアノを弾いており、またクラブのイベントのプロデュースにも関わっていた。
その頃私は、グランド・オープニングの演奏をどうするか悩んでいたのだ。
アリさんに相談すると、
メイン会場は、スウィングジャズのバンドと自分のピアノの交代演奏で、切れ目の無いものにする、
そしてサブ会場は、ボサノバのヴォーカルとギターを入れる。
というアイデアをもらった。
ギャラを聞くと、我々が考えていた予算の中で実現出来そうであった。
レネにその旨を話し、レネはヘップバーンに話した。
ヘップバーンはアリさんのことも、彼の技量も十二分に知っているので即OKとなったのである。
メイン会場は花岡詠二氏(クラリネット)がバンマスのスウィング・ジャズとアリさんのピアノで華々しくいくことになった。
そしてサブ会場で演奏とヴォーカルを担当してくれたのが
「ノブさん」柳澤伸之氏である。
彼のスウィング感あるボサノバの演奏とヴォーカルは、聴いている人を虜にしてしまう。
その日のサブ会場も、多くの外国人がノブさんを取り囲んで盛り上がった。
更にオープン間近になって
Aヘップバーンのかつての部下がイギリスからヘルプにやってきた。
ダ○カンというその男は、明らかに変な男だった。
どう変かといえば、ひと言で言い表せないが、多分彼はゲイである。別にゲイでもいいが、それ以外にも十分変な奴だった。
彼は、日本人もベトナム人も中国人も同じと思っていた節があり、
まるでスタッフを人間扱いしなかった。
流石に、私に対してはそんな事は無かったが、
スタッフに対しては、休憩を与えるなんてナンセンス!という「考え」がアリアリであった。
GMも、そしてダンカンも又日本語は全く分からない・・・
全て私が間に入って調整しなくてはならなかった。
取引業者を呼んで、法外の要求をしたり、
全く日本の常識を無視したやり方であった。
どんなやり方でやろうが構わないが、私が間に入って伝えなければならないので、私がそれを容認しているかのようで、そこの部分が辛かった。
そんな日々であったが、なんとか無事にオープンさせる事が出来た。
グランド・オープニング・パーティーも非常に華やかなものであった。
女優の三田佳子や読売ジャイアンツの社主なども参加したほどである。彼らはオブザーバーとして契約してもらったようだ。
オープンしてからも毎週日曜日はシャンパンブランチ、そして毎月ジャズディナーの開催など、気が休まる暇が無かった。
特にジャズディナーは、毎月集客が大変だった。
なんとか満席にしないことには私の面子が立たないし、
ダンカンからもレネからも色々言われるに決まっている。
毎月、毎月よく人を集めたものだ・・・
当日のサウンドチェック、リハーサル、
そしてミュージシャンのケア、本番ではMCもまた私の大切なボクの仕事であった。
「音楽プロデューサー笹川」というのは、この時代に構築されたのだ。
そして、キャピタルのオペレーションも形になったのを確かめたボクは、辞める決意をしたのである。
レネ・エリントンという女性GMにその事を伝えなくてはならない。しかし、ボクの英語の能力では、細かい部分がうまく説明出来ない・・・GMのセクレタリーにも通訳で同席してもらうことにした。
そして、彼女に「辞めることにした」と告げた。
外国人特有のあの大袈裟なリアクションというのがあるが、
まさしく「それ」を彼女も見せてくれた。
両手を大きく広げたりしながら
「理由はなんなの?」
「ダンカンが嫌いなら、どっかにやるわ!」
「給料なの?給料ならアップする!」とか、
「皆には黙ってて欲しいけど、あなただけに特別ボーナスをあげるから!辞めるなんてそんな馬鹿な事言わないで!」
とポンポン言われた。
そんなこと、自分のセクレタリーの前で言って大丈夫なんかい?
とも思ったが、もっと早くにこの話をしておけば良かったかな・・・
と思ったりもした・・・
「レネ、そんなに言ってもらってありがとう。
でも、お金の問題じゃ無いんだ・・・」と言いながら、
感情が高ぶって激しく涙が流れ出てしまった・・・
それを見たレネは、私よりも激しく「ウォ~」と叫びながら泣き出してしまった。
そして、ボクを両手で抱き締めた。
まるで 映画のワンシーンのようである。
レネは、そこまで私の事を思ってくれていたのか・・・
ボクも感極まってしまった。
セクレタリーも一緒になって三人で声をあげて泣いた・・・
今でもそのシーンは情景までよく覚えている。
泣きながら「なんだか映画みたいだなぁ~!」なんて思ったりもした。
そのビジネスクラブは会員と会員同伴者しか利用出来ないクラブであった。
外人客も多く、また毎月ジャズディナーのイベントを打ったりと、
物凄い忙しさであった。
バブルの時代でもあり、華々しい時代であった。
今思えばよく電話でも、なんでも英語でやれてたもんだと思う。
今同じことをやれ!と言われても、とうてい無理である。
人生の中で、この時代ほど英語を使ったことはない。
勢いで乗り切っていた部分もあるが、よくやれたものである・・・