第二章 十話 天に向かって

 雨宮さんは立ち止まり、何者かと対峙たいじしているかのように、仁王立ちしたまま、動かなくなってしまった。

 何事かと、彼女の前方を見ると黒い煙のような人影が揺らめいていて、僕は動揺してしまった。

 物陰に潜んでいた、若林先生を見付けた時は、僕は口から心臓が飛び出そうになってしまった。彼女の手に握られていたのはカメラではなく、手術用のナイフで、咄嗟とっさに体が動いて、抑えつけていた。

 その後の記憶は、必死過ぎたせいで曖昧あいまいなんだけれども。

 ただ、明らかに地震とは異なる、ポルターガイストのような怪異が起こったのだ。それから、僕達を包みこんだあの白い光の正体は一体なんだったんだろう。

 全てが、一瞬で嵐のように過ぎ去ってしまい、今は考えが纏まらずどっと疲れが襲って、その場に座り込んでしまった。


「米倉さん。ありがとうございます。本当に助かりました」

「本当に助かったよ、浩司さん。あんたがいなければ、ちゃんと龍神祝詞を唱えられなかった。それにしても、どうしてタイミング良く、駆け付けて来たの。あんた、トンネルの向こうで待ってたんじゃなかったのかい?」


 若林先生は、気を失っているが怪我はしていないようだ。雨宮さんは浩司さんに礼を言うと、彼女を抱き起こして膝枕をする。


「トンネルの先で待ってたが、十七時前になっても、お前らが戻って来ねえからよ。トンネルの中で、恵子の従兄妹だと思うが、誰かが俺を手招きしてな。助けてくれって。それでそいつ、この廃院から、お前たちの所まで誘導したんだ」


 斎藤先輩が……?

 今井先輩を置いて、斎藤先輩が浩司さんを呼びに行ったんだろうか。だけど先輩らは僕達の反対側に居た筈だけど。僕が首を傾げていると、後方からバタバタと人の足音が聞こえた。


「凄い落雷だったな、君達大丈夫か? あれ? 浩司さん、どうしたんです。おお、若林先生も見付けたか。流石、俺の後輩だな」

「若林先生は大丈夫なのかい? ふむ、我らがマドンナが悪霊を駆逐くちくしたか。それで、超常現象の記録は取れたのか、海野くん」

「いや……とてもじゃないですけど、それどころの騒ぎじゃなかったです。だいたい、今井先輩が、カメラを持ってるじゃないですか」

「情けないなぁ! まだまだ俺達が必要だな、海野くん」


 斎藤先輩と今井先輩が、場違いに明るい声でそう言いながら、目を輝かせて部屋に入って来た。やはりこの二人は廃院の反対側の探索を続けていて、怪異にも遭遇してなければ、恐らくトンネルにも戻っちゃあいない。


「それはここで殺された若い駐在警官の霊だよ。その人が、浩司さんを呼んでくれたんだね。過去に、この産院で大量嬰児殺人事件が起きたみたいだ。それが、トンネルの怪異の元凶さ」

「駐在……? 俺が産まれる前に死んだ親父が、駐在警官だった。お袋はなんで死んだか俺に教えてくれねぇけどさ。まさかな」


 浩司さんの父親が警察官だったのは意外だったが、なんだか不思議な巡り合わせだ。もしかして、と思わなくもない。浩司さんも複雑な表情をしている。


「んん……」

「若林先生、大丈夫ですか?」


 先生が目を醒ますと、僕達は安堵した。


 ❖❖❖


 若林先生の話によると、廃院の玄関で中年の男性と目が合ってから記憶が、すっぽり抜け落ちているらしい。

 雨宮さんの予想通り、荒牧産院では横領詐欺を目的とした悲惨な殺人事件が起こっていたようだ。戦後の混乱期に、村ぐるみで隠蔽したのも時代の闇を感じるな。

 彼女の言う東京から来た駐在さんも、恐らく荒牧産院ではない場所で、遺体として発見されたのか……もしくは、庭や山に埋められているのかもしれない。


「当時の村人もまだご存命かな。遺体を掘り起こしても、彼等は口を噤むだろう。殺人罪なら、もう時効になっているのかもしれないけどな。なんだか、納得がいかない」

「荒牧夫妻があの後、どうなったのかは視えなかったけど、この廃院の有様ありさまからして、結局没落したんじゃあないの。荒牧夫妻はここで死んでもなお、欲に囚われていたんだからね」


 あれから、廃院の中を一通り見て回っても、事件と紐付けするような日記や手紙等は見当たらなかった。荒牧カヨが用心深い性格で、本人しか知り得ない場所に隠しているのか、それとも娘夫婦が処分したのかは、分からないが。

 一つだけ言える事は、村人達はこれから先もここに訪れる事はなく、この廃屋は忘れ去られて、朽ち果てていくのだろう。

 庭まで戻ると、雨は止んでいるがすっかり日が暮れてしまっていた。


「雨宮さん、これで良いかしら?」

「はい。それじゃあ、海野先輩頼んだよ」


 先輩達と、若林先生は懐中電灯の明かりで庭を照らしてくれた。

 雨宮さんは、北東の方角からゆっくりと、庭の四隅にお神酒を撒いて回る。

 僕は、庭の入口に塩を盛ると彼女が戻って来るのを待った。そして雨宮さんが最後の仕上げとして神楽鈴を持つと、四回ほど左右に鳴らす。


「――――土地を清め、邪気を祓った。これでここの土地神様が、時間を掛けてこの地を、浄化して下さると思うよ。でも、この子達の為に私達は手を合わせよう。母親を求めて、彷徨わないように」

「これでもう、トンネルの先に進めなかった赤ん坊達は、天国に行けるな」


 あんなに恐ろしかったトンネルの赤ん坊も今はとても哀れに思える。僕が率先して手を合わせると、心から彼らを思って読経した。

 多分、僕と雨宮さんにしか視えていないだろうけど、清められた土地に集まって来た赤ん坊達が、白い球体となって空に上がって行く。

 不意に赤ん坊や、小さな子供の笑い声が聞こえ、清々しい夜風が吹き抜けて行った気がした。


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