第二章 八話 隠蔽の館②

「え、産院で最近なんか事件でもあったんですか」


 若林先生を探すように部屋を見渡していると、不意に今井先輩が背後からポツリと話し始める。最近、産婦人科で世間が騒ぎになるような、事件が起こったんだろうか。

 今井先輩は、オカルトにしか興味がないと思っていたんだが、意外にも事件なども詳しいようで、驚いた。


「海野くん、君は特殊産院と言う、養子縁組ビジネスがあったのを知っているか」

「ビジネス、ですか?」

「未婚の夫婦や戦争未亡人、売春婦の間に産まれた私生児を、養育費と共に預かる。そして赤ん坊を必要とする家庭に、斡旋あっせんするんだ。子供が欲しい夫婦は、金で嬰児を養子として買う」


 中絶は堕胎罪だたいざいとして、罪に問われてしまう。

 私生児として産まれた子供は、間引きされていたらしい。国自体が産めよ増やせよの時代だったが、貧困で子供を育てられなければ、捨てられてしまう。

 戦時中から戦後に掛けては、特にそういった特殊な産院が、多くあったんだろう。

 お国の混乱期とはいえども、金で赤ん坊が買えるという事に、僕は嫌悪感しか湧かない。


「赤ん坊を預かり、養育して里親に出す産院があったんですね。だけど資金も物資も少ない時代だったんでしょう?」

「親から、高額な養育費で赤ん坊を譲り受けるんだよ。そして子供を安くで売り捌き、養育費を横領おうりょうした。ミルク等の配給品をも横流ししてね。それで、大儲けした、詐欺横領事件があったんだ」


 戦後の混乱期だ、配給品の横流しは金になるし、国民が貧困に苦しんでいた時代でもあるから、そういった悪質な詐欺が横行おうこうしても、おかしくないな。

 そして僕は、嫌な考えに辿り着く。


「預かった子供達はどうなったんですか? 養育費を横領され、品薄の配給ミルクが横流しされたら」

嬰児えいじ達の中でも、容姿の良い子は売れるが、当然売れ残りも出て来る。引き取る嬰児は増えていくが、貰い手が少なくなるとやがて、赤ん坊達の食事の量は減っていった」


 まるで人間を家畜のように扱っていたんだな。僕はとても胸糞悪い気持ちになる。金欲しさに赤ん坊を次々と引き取るが、養育出来なくなって、赤ん坊を飢えにさらすなんて。


「そんな事をされたら、赤ん坊は栄養失調になってしまいますよ。最悪な事件だ」

「赤ん坊達を意図的に栄養失調状態にし、餓死させる。風呂にも入れず放置し、凍死させる事もあったんだ。これが後に戦後最大の、嬰児大量殺人事件と呼ばれるようになった事件だ」

「なんて酷い。もしかすると、この荒牧産院でも、同じような事が起こってたって言いたいんですか?」


 僕が少し感情的になって振り返ると、後からついて来ていた筈の今井先輩と、斎藤先輩の姿が見えない。一瞬で何処かに隠れたとしても、廊下を走る音が響きそうなのに。


「えっ、あ、どう言う事なんだ。雨宮さん……! 先輩達が居なくなってる!」

「海野先輩。さっきからずっと独り言を言ってるけど、大丈夫かい? 私が話し掛けても反応がなかったよ。先輩達とは、二手に別れたでしょう」


 半ば、パニックになって雨宮さんに言うと、冷静な答えが帰ってきた。

 そうだ、結局途中で先輩達と二手に別れたんだ。先輩達は日本家屋の方を、そして僕達は洋館に向かう渡り廊下を、歩いていた。

 じゃあ、さっきまで僕と話していたのは、一体誰だったんだろう?


「悪霊はね、声真似をするんだよ。海野先輩は霊感があるから、あちらから干渉かんしょうされたんだ」

「そうか。ぼ、僕は、今霊と話していたのか。先輩達は大丈夫かな」

「洋館の方に嫌な霊気を感じたから、あえて二人には反対側に進むように指示したんだよ。騒がれると危ないし、浄霊の邪魔になるからね。海野先輩はなんの話をしていたんだい?」


 あの二人はそうでも言わないと、意地でもついて来そうだものな。

 僕はオカルト研究部に入って、初めて幽霊と会話するという、恐怖体験に震えながら、戦後最大の嬰児殺人事件の話をした。

 雨宮さんは深く頷くと、言った。


「その事件は聞いた事があるよ。主犯は助産婦で、院長夫婦が捕まったんだ。それ以外でも、お金目当てに嬰児を預かり、養育費だけ奪って殺すなんて事件は、多かったらしい。地元の人がこの荒牧産院に寄り付かないのも、ここで同じ事が行われていたからかもしれないね」


 だとしたら、ここの事も新聞に載っていても不思議はない気がする。斎藤先輩はトンネルの情報ばかりを追ってしまい、近隣で起きた嬰児殺人事件の事を、見落としてしまったんだろうか?

 何故、悪霊は自白したんだろう。

 良心の呵責かしゃくに耐えられなくなったせいだろうか。だけど、あの口振りからして、自慢しているようにも思えた。

 雨宮さんは、静かに怒っている。

 彼女は、再びリュックから形代と御札を取り出した。


「急急如律令」


 雨宮さんが親指と人差し指を口元に当てて呪文を唱えると、三枚の依代がふわり、ふわりと宙に浮かぶ。

 確か雨宮神社は、辰子島に辿り着いた陰陽師を祖先とし、龍神を主祭神としている逸話があった筈だ。

 だから、彼女がいわゆる陰陽師の術を使えても不思議じゃあないが、アニメのように意志を持って浮遊する式神を扱えるだなんて。

 こんな状況なのに、僕は感動した。


「悪霊を追い詰めろ。逃がすんじゃあない」


 式神達は、彼女の命令に従うように素早く廊下を駆け抜け、突き当りまで来ると三方に散り散りに飛ぶ。悪霊を探すように、式神達は縦横無尽に駆け巡った。

 彼らは合流すると、三枚とも同じ方向に向かって速度を上げて飛ぶ。

 雨宮さんが、式神を追うように早歩きになると、僕は彼女の後を必死に追い掛けた。


「あ、雨宮さん、待ってくれ!」


 日本家屋から、洋館への渡り廊下は長く、足元にカルテルやシーツ、外から入って来た枯れ葉等が散乱していた。

 床が腐っている場所もあるので、僕は細心の注意を払いながら、必死になって彼女を追う。

 雨宮さんは廊下の先にある、正面の扉を無視して、右に回ると『院長室』の札が掛けられた白い扉の前で止まった。

 式神達がその扉にピッタリと貼り付いている。

 扉は、まるで地震が起きたように、ガタガタと揺れ動き、中から獣のような呻き声が聞こえた。


「追い詰めたよ。若林先生を返してちょうだい」

『ああ、ふふふふ。私どもを閉じ込めてどうするおつもりでこざいましょう。逃げも隠れも致しませんよ、刑事さん』


 扉の向こうから、中年の抑揚よくようのない女の声が聞こえる。ああ、この声だ。僕はすっかり今井先輩の声だと勘違いしていたのだが、あれは中年の女の声だ。

 この悪霊は、僕達の事を刑事だと勘違いしているのだろうか。


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