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忘備録②この感覚はどこから(2025年問題について)
たとえば夜に街の明かりや煌々とついているビルの電気を見たとき。
あるいはずっと続く車列を見たとき。
泣きたいような気持ちになる。
どうかこの光が絶えてくれるな、この景色が未来永劫続いていくようにと、
そう祈りたくなるのは何故だろう。
私は戦争を見たわけでも、死に直面したわけでもない。
過去記憶を覚えているとかそういうわけでもない。
だけれど、どこか死を身近に感じるというかそういう感覚は常にあった。
死を身近に感じるからといっても
別に常に恐怖感を四六時中感じていたとか
そういうわけではない。
たとえば外出してふとした瞬間に、ここにまた戻って来られるかなとか
そういうことを考えてしまうとかそんな感じで、
(もちろん不安で別に仕事に行けないとかそんなことはなく、
そうかと思えば楽しいときは楽しいときですっかり忘れている)
だけどどこかに死というか、
いつも明日があるとは限らないということを忘れるな、みたいなのが
常にどこかに警告みたいに頭の片隅に張り付いていて
それで狂ってしまうということはないけれど
自分はいったいなんだろう、不安障害かなにかかな?
いや、日常生活を脅かすほど苦痛は強くないし違うよね?とか
色々ずっと思っていた。
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ともあれ
今巷を騒がせている2025年問題、
youtubeでは関連動画がこれでもかと出てきます。
そもそも【明日確実に生きている保障などどこにもない】という前提自体は
正直なところ2025年問題が起こっても起こらなくても変わらない。
だからなんでこんな不安を煽るようなことばかり
するのだろうと思っていました。
そこまでして再生回数が欲しいものなのだろうか?
それで評価を得られてそんなに満足か? と。
だけどもし2025年問題で言われているようなことが本当に起こるのなら
止める方法があるなら止めたいとずっと思っていました。
そんな時に見つけたのがエマさんのブログでした。
【ブログ】思考を明け渡す危険性
https://ameblo.jp/ema-1024/entry-12837907273.html
【ツイキャス】質問にまとめて回答されています。
23:56~2025年問題について述べられてます
これを見聞きすることができて改めて良かったと思っています。
あらためて【前提】を思い出したうえで
たとえ何があったとしても、では何を選ぶか、何をして生きてゆこうか、
そういうことを改めて気付かせてくれます。
結局は何が起きても後悔しないような選択と行動をするしかない。
だからそのために今目の前にあるものに一つずつ片づけていくしかないのだと思います。
最後に余談ですが、今は前段に書いてあるようなことはそれほど思ってはいません。
思っていないというよりも、
その思いがよぎったとしても前ほど苦痛は感じなくなりました。
※仕事自体が忙しくて毎回納期と闘っているからそれどころではないというのもありますが※
上手くまとまってないですが今回は以上です。