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こんな音楽を聴いてます②藤井風【キリがないから】
※あくまで曲に対しての個人的感想としてお読みください※
キリがないから
ここで終わらすだけなの
さもなけりゃ 永遠に 永遠に 彷徨うザマ
あとがナイから
ここで戦うだけなの
この旅は そんなに そんなに 甘かないわ
迷える可愛い子羊たち
彷徨う間に月日は経ち
気づけばハタチは遠い過去いや夢?マボロシ!
何も知らない十四の秋
いつまで引きずる中二の時
ここらでそろぼち舵を切れ
いま行け、未開の地
キリがないから
キリがないから
キリがないから
【感想】神ならぬ人が人としての道を取り戻すための歌
この詩を読むと「若い時は永遠ではない、
あっという間に月日は経ってしまうから、過去にとらわれず今を生きよう」という内容を歌っているし、実際にそうなのだと思う。
しかしながら、私の中に、
本当にそれだけ?あの藤井風さんですよ?
彼がわざわざそれだけを言いたいためだけに歌うか?
という思いがあったので今回の投稿と相成ったわけである。
タイトル「キリがないから」
キリがない、というのは際限がない、終わりがない、
ということを意味する。
たとえばピンからキリまで、は「はじめからおわりまで」
場合によっては最上から最低までということを意味する。
ちなみにピンとキリの語源を遡ると、
・「ピン」⇒ポルトガル語の pinta (点)⇒カルタや賽の目などの一の数の意味(転じて第一番や最上のものという意味になった)
・「キリ」⇒十字架の意⇒10の意味
(転じて、最後のもの、あるいは、最低のものという意味になった)
であり、意外にも日本語が語源ではなかったのが興味深い。
ここで私がふと思い出したのは聖書の一節
「わたしはアルファでありオメガである」
言うまでも無くアルファはギリシャ文字のはじめの文字であり、
オメガはギリシャ文字の終わりの文字である。
つまりわたし(神)は最初の者にして最後の者、
創始者にして究極の存在ですよ、ということなのだが
アルファでありオメガである=創始者にして究極である存在、
つまり神は存在そのものがはじめから完成されていて、
ある意味、「永遠の存在」というようにも読み取れる。
迷える子羊、という表現といい、
歌詞にキリスト教的なものを意識したのかどうかは定かではないけれど。
さて、ここで再び歌詞に戻ろう。
この歌詞の主人公は言う「キリがないから、ここで終わらすだけだ」と。
時間は残念ながら前にしか進まない。
しかしながら時間と同じ速度で人間の魂の成熟度が進むかというと
決してそんなことはないのがこの世の常である。
自分自身を顧みても年齢はどんどん重なっていくのに
精神性は大して成長してないなとつくづく思わされる。
さらに人の精神というのは気付かぬうちに簡単に過去に飛んだり
(あの時こうしておけばよかった的後悔、もしくは昔は良かった的回顧など)
もしくは簡単に未来に飛んだり
(まだ起きても居ない未来への不安など)
意外と「今・このとき」に踏みとどまって生きるということが難しい。
さらに留まろうと思えばいつまでも過去に留まることができる。
下手すると過去に終わったことに対していつまでも想いを際限なく溜め込みかねず、どこにも進めぬまま一生を終えかねない。
まさに「いつまで引きずる中二の時(中二病)」
だがそうしている間にも、人が人として生きるための時間、
人間として生きて経験を積んで、自分の魂を成長させるための時間はどんどん過ぎてゆく。
下手すると時代は変わり、場合によっては国レベルで時間から切り離され、取り残されてゆく。
人の想いには際限はなくても、人の生命はそうではない。
神様は「アルファでありオメガである」、完全かつ永遠の存在でその選択に間違いはないのかもしれないけれど
人間は「ピンからキリまで」であり、完全でも永遠でもない存在で、できる選択には限りがあるのだから。
だからこその「キリがないから、ここで終わらせよう」
人の想いにはキリがないから。連なる恨みも、過去の行動への後悔も、未来への恐怖も、見果てぬ夢も。
例え自分がどんなボロボロでも、それでも今は人生の旅はまだ終わっていないなら、ここらでみずからキリをつけよう。
その過程は未開の地を歩むがごとく、苦難の連続かもしれないけれど。
そうしなければ、どこから来たのか何処へ進むべきかわからなくなり永遠に彷徨ってしまうから。
これが最後のチャンスなのだから。自分の人生を切り開き、「正しい道」へ方向転換するための。
この歌は現実において躓き、どうしようもなくもがき苦しみ、進むべき道に迷い、壁にぶつかり、苦悩し、それでも歩むことをやめずにいる、すべての人たちのための歌であると思う。
少なくとも私はそう信じてこの歌を聴いている。
※この文章はあくまで私の個人的感想です。
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