春、別れの気配
2月は休みの日でも、たくさんの学校行事で埋まってしまっている。
そんな今日は”6年生を送る会”の参観に。
久しぶりに伝統的な6送会だった。(コロナ前みたいな)
歌あり、劇あり、踊りあり。
1年生から5年生それぞれの学年の発表、それから先生たちの合唱。
かれこれ11年、小学校に通っているわたし。
11年目ともなると、長女の頃に赴任していた先生が一度出られてから、また(今度は出世して)戻ってきている。教頭先生になったり、教務主任になったり。(市立の学校だけど研究校だからかな・・・小学校でお世話になった先生が中学校でまた担任になったこともある。よくわからない仕組み)
今日も何人か顔見知りの先生がいて、お互いそれでもちゃんと年をとっていて、(それがお互いわかってしまって)少し悲しい。
もちろんお母さんたちも。
コロナ渦には聞けなかった子どもたちの合唱が素晴らしかった。
まだ変声期を迎えていないきれいな高音だけの、ハーモニー。
6年生になると、少し低音も混ざってくる。
自分は歌うのは苦手だったけれど、(歌に限らず、発表や応援合戦なども大変苦痛で、恥ずかしさが勝った)どの子も大きな口を開けて一生懸命歌っているように見えた。
それから、凝った飾りつけ。
一つの学年の発表が終わるたびに星が一つきらめいて、最後には星と星がつながって、オリオン座が輝く。
(星と星がつながっていく様子に涙がこぼれた)
こんなふうに毎月集会が開かれる学校で育ったからなのか、うちの四人姉妹は誕生日にはきちんと飾りつけをして、お祝をするのが当たり前だと思っている節がある。
(先日のわたしの誕生日には、遅番だったから21時過ぎに帰ったにもかかわらず、ハッピーバースデーの演奏と手づくりのケーキが待ち構えていた。)
この小学校に通えて、熱心に育ててもらった証だ。
ほんの一刻だけれど、感傷に耽る。
この一刻の感情を残したくて、忘れたくなくて、人はことばを紡ぐのだろう。
そうしないと容赦なく続く日常に否応なしに引き戻されてしまう。(そうして、忘れる)
ことばでなくても、絵を描く人なら絵に残すし、写真や歌にする人も。
そして、特に残すすべのないわたしは、他の人の痕跡に心動かされたり、魅入られたり、させてもらっているのですね(笑)
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