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振袖よりも華々しい成人式
成人式へ行ってきた。
みんなが友達とキャッキャキャッキャしている中、私は隅っこにいることしかできなかった。
楽しかったかと言われたら首を縦に振れない小学生時代の思い出。
周囲の人間が小学時代の友人たちとの再会にキャッキャしている中、私はひたすら怯えていた。「来るんじゃなかった」って最初は後悔した。
そんな私に聞き覚えのある声が耳に入る。
その声がする方に目を向けると綺麗な女性だった。
私の記憶の中にその女性の姿はなかったが、「もしかして、、。」と思い声をかけた。
案の定、彼だった。彼は小学生時代仲良くしていた友人である。
彼は女性になっていて今はモデルとして頑張っているらしい。
当時のあのしっかり者のヤンチャボーイからは想像もできない姿だった。
一人ぼっちで成人式を乗り切るのは酷だったので、その子と一緒に成人式のプログラムを乗り切った。
プログラムが終わって、色々な同級生と交流した。
小学生時代キラキラしていた彼女は一児の母になっていた。
幼稚園児時代、足が速かった彼は、今では大阪で社会人。
小学生時代頭が良かった彼は、想像通り旧帝大で見た目もエリート会社員って感じ。
みんながみんなそれぞれ違った人生を歩んでいた。みんながそれぞれ違った人生を歩みそれぞれの輪郭がはっきりとしている中で、自分の輪郭が分からなくなった。
ただ絵が好きだという普通の女の子が、京都の芸術大学に行って劣等感を日々抱き、「私は絵を描く必要性があるのだろうか」と日々自分に問いかける。
そんな私の自問は1人の同級生との会話によって解かれる。
その子は小学生時代秀才と称されていて、今は大学の農学部で生物を学んでいるという。その子と小学生時代のこと、大学のこと、各々のこといっぱい話した。
私は基本、人と話す時は、相手に嫌なふうに思われていないかヒヤヒヤしてたまらない。人と話す時は、「あなたは会話になってない」と指摘されたトラウマが私の脳内に響き渡っていて、楽しいと思えない。
だが、その同級生と話している時は違った。お相手との会話がひたすら自分が楽しくてそのトラウマも忘れてしまいそうなくらいだった。
話の中で美術の話になった。その子も一時期絵を描くということをやってたらしい。だけど、違うと思ったところがあったらしくやめちゃったとのこと。そんな彼は、私に「絵を描くってすごいよ。」という言葉をかけてくれた。
その言葉に私は背中を押された気がした。
多分、その一言の中に彼の配慮が沢山詰まっていたのだろう。
私はその時心に決めた。
「何年かかってもその子にとって同級生として誇りに思えるような、そんなすごい画家になってやる」
私は今日この日、素敵な同級生と出会ったことと、そんな同級生を持てた自分にもその全てが私にとっての誇りなのだと実感した。家に帰ってから私はその同級生の話ばっかりしていた。
私にとっての今日は振袖の華やかさよりも華々しい思い出として残ったのであった。