三つ子の魂百まで。
こんにちは、みちこです。
3歳頃の性格は100歳になっても変わらない。
「三つ子の魂百まで」と言いますが、20代中頃までこの意味を知らずに生きていました。
どんなきっかけだったか、自分の性格って幼稚園の頃から変わってないんだなと思い、この言葉の意味を知ったのです。
幼稚園の頃の私は、とても寂しがりやでした。
母は隣町の祖母の家に私を預け、祖母が幼稚園のバスの停留所まで送ってくれていました。
しかし私は母と離れたくなくて、仕事に行こうとする母の前で両手を広げ、泣きながら「行かないで」と駄々をこねました。
また、用事があって直接幼稚園まで母に送ってもらった日は、母が行ってしまってから、幼稚園を脱走して母を追いかけたこともありました。
そのくせ、友達はいませんでした。
ひとりでいたいわけではないのですが、コミュニケーションの取り方がわからない。唯一私と遊んでくれたヒトミちゃんに私はベッタリで、毎日一緒にいてもらっていました。
ヒトミちゃんが幼稚園を休んだ時は、もうどうして良いかわからず、ひとりで遊ぶこともできず、見かねた先生が同じクラスの子のところに連れて行ってくれました。
30歳になった今も変わらないことに気づきました。
母とヒトミちゃんの代わりは、彼氏です。
できるだけ一緒にいたいとねだり、束縛しているかもしれません。
彼は友達が多いので、週末遊びに行くことも多いのですが、私は友達がいないので家にいます。
友達と呼べる人の連絡先はLINEに入っています。しかしこれまで遊びに誘われたことはありません。
20代前半は、友達がいないのは人として恥ずべきことと思っていたので、自分から高校や大学の友人へ連絡していたのですが、ふと、誰からも遊びに誘われたことがないと気づきました。
会えば楽しそうにしてくれているのに、なぜ誘ってくれないのだろう。
当時付き合っていた人は高校の部活仲間のLINEグループが頻繁に動いていて、よく遊びに行っていたのに。
私が人からどう思われているのかは、今でもわかりません。これまで付き合った人も今の彼氏も優しいためか、私に友達がいない理由を教えてくれません。
そういえば、私は幼稚園の頃から自己中心的でした。
私は歳の離れた兄がいるのですが、毎日遊んでほしくて兄の部屋に行きました。
兄は中学3年生で、高校受験のために勉強しています。当然ながら遊んでくれないので、私は泣き叫びます。
そうするとリビングから父がやってきて、兄を殴り、私と遊んでやれと怒りました。そして兄は泣く泣く私と遊ぶのです。
現在、兄の代わりもやはり彼氏でしょう。
とんでもない人(私)に依存されて、可哀想になります。
彼に対して愛情はあるのか、と問うても私の心は答えを返しません。
でも彼は良い人なのです。
毎日私にご飯を作ってくれますし、優しく接してくれます。
それに対して私は、さらに深い愛情や理解を求め、彼に怒ります。
私は最低な人間でしょうか。
いつからこうなったのかと、振り返れば、
それは三つ子の頃からでした。
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読んでいただきありがとうございました。