点滴と採血のこと

いつの入院の時も大変なのが点滴と採血で。

息子がYouTubeで「嫌なことランキング」を出したことがあってそこには入ってなかったんですけど、彼の闘病期間19年を通して普通にやらなければならないこと、やっていたことなので、意識にものぼらなかったんだと思います。

入院患者としては逃れられないことで、採血に関しては病院に行く以上必ずセットで付いてくるものなので、私たちがご飯を食べること、お風呂に入ることのようにやって当たり前のことだったから。でも地味にストレスは感じていたと思います。

点滴の入れ替え

息子と病院に行った時、親御さんが手にシーネ(手首を固定するための添え木のようなもの)をつけた小さい子どもさんをつれて点滴を押しながら歩いているのを見て「懐かしいね。あんな頃あったね」ってよく話したことです。

前にも書きましたけど、点滴を長期間すると血管が次々とダメになり、なかなか新しい血管を探すことも難しくなって。1週間に一度とか、早い時は2〜3日で入れ替えないといけません。点滴のところが腫れてきたとか痛くなってきたら点滴の替え時で。
針を刺した後、中で血管を探す先生もいて、すごく痛そうでした。時々、一発で血管を見つけられる先生がいて、その時は「あの先生、神や!次からもあの先生にして」って言っていました。

なのでCVカテーテルを入れた時に「もう1ヶ月以上替えてない」って喜んでました。固定しているテープの貼り替えには閉口してましたけど。

血液検査

CVを入れていても週に2回ぐらい血管から採血しないといけないことがありました。
大人になってからの入院では朝6時半とか7時頃、看護師さんがベッドにやって来て採血して行くのですが、針を刺して中で探しながら「ごめんで。痛いよね。もうちょっと我慢して…」とか言いながら…。一度抜いて反対の手で挑戦。それでも見つからず。次々と交代して5人、6人…。一番多い時は8人やってみんな失敗…みたいなこともあったそうです。1人が最低2回は針を刺していくので少なくとも16回は針を刺されたことになります。

そんな時は病院に行った時に必ず言っていました。「あ〜、今日の採血、最悪やった。朝から眠いし痛いし。ここの看護師さん注射が下手すぎ」って。

あまりにも失敗が続くので「検査部の人に来てもらったらダメですか?」って聞いたことがあるみたいですが「それはダメ」って言われたそうです。外来だといろんな感染症の方が来るので、それはなかなか難しいんでしょうね。

大学病院でも同じように週に何度かは採血をしていたのですが、その時は採血専門の方が来てくれてて「蔵之介君、すごく良い血管見つけたよ」って言って、手首の付け根の親指側の血管(針を刺したら絶対痛いとこだと思います)から採血してくれてました。
実際、いつやっても失敗はなかったです。針を刺す瞬間は痛いと思いますけど、刺して中で探したり、見つからずに何度も刺されるよりは絶対良かったと思います。

入院中にどんどん血管がダメになっていってたので、退院後の通院の時に採血があった時もなかなか血管が探せなくって。キツく縛って、叩いたり温めたりしても血管が出て来なくて。採血室の臨床検査技師さんのなかでも1番上手な人しか息子の血管は探すことが出来ませんでした。
その方が休みの時に行ったことが何回かあって、技師さんたちが「えー、蔵之介君が来た。どうしよう、ようせん」って言ってたのを聞いて、2人で顔を見合わせたこともあります。結局、2〜3人が挑戦して、やっと採ってもらえました。

面白いもので顔を見た瞬間に「あ、この人失敗するな」とか分かるので、採血が終わった後で2人で「やっぱり失敗したね。あの人来た時、絶対失敗すると思ったよね」って話したことです。

骨髄穿刺・髄液注射

小児科の時は、骨髄穿刺や髄液検査の時は全身麻酔でやってくれてましたが、大人になると局所麻酔だけで。でも針を入れる感じとか、骨髄を抜く感じ、薬剤を入れる感じは痛みが無くても分かるし、息子は麻酔が効きづらかったみたいなので、痛みはけっこう感じてたようです。先生はちょっと痛いだけで大したことないって言ってましたけど「全然ちょっとじゃない。自分でやられたことないき、あんなこと言えるがや」って憤慨してました。
アメリカでは全身麻酔でやるらしく、骨髄検査のあるたびに「あ〜、アメリカでやりたい」って言ってました。

高校生になってホルモン注射を受ける時は、太ももに注射針を直角に入れられていて。それはそれで見える分、よけいに痛そうでしたけど。

CV入れて外泊

病院では年末からお正月にかけて、治療が混んでない時、体調がそんなに悪くない時は家に帰らせてくれました。CVを入れた状態でも何度か帰ったことがあります。
でも、CVを入れてる時は血管内のカテーテル内に逆流した血液で血塊ができたり、血栓ができてCVカテーテルが閉塞することを避けるため1日1回は点滴の管に薬剤を入れなければいけません。なので帰れたとしても毎日病院には行っていました。年末には「良いお年を〜」って言って帰って、次の日、元旦には「明けましておめでとうございま〜す」って言って病院に戻って。結局、毎日、看護師さんや主治医の先生の顔は見ていましたね。

それでも家に帰るっていうのは、息子にとって大きなことだったと思います。家では病気のことは気にしつつも普通に過ごして、思う存分日常を満喫して、次に来るであろうしんどい治療への気持ちの上での準備期間になっていたと思うから。

でも私や家族はそこから感染しないかとか、ルートが抜けたりするんじゃないかとか気が気じゃありませんでしたけど。

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