息子(白血病患者)の入院中の唯一の趣味

YouTubeをやることの意味

息子がYouTubeを始めたのは、再発後、高知の病院に入院している時でした。
それまで大学に通ってアルバイトもして友だちとも遊んで日々忙しくしていたのが、病気になっていきなり大学も休学して入院してしんどい抗がん剤が始まって。今までの生活を考えたら雲泥の差だったと思います。

病院って何度も書いてますけど暇なので。でもYouTubeをやることで外の世界から突然切り離されて、あまり家族とも会えずしんどいことをずっと我慢しなければならないことから気持ちを逸らせるし、何より自分のタイミングで発信出来るからすごく良い趣味になっていたと思います。

最初はそこまで乗り気ではなかったけど、少しずつ視聴者さんが増えて来て、コメントも頂くようになって。ずいぶん救われていたような気がします。

息子のYouTubeをやる一番の目的は「社会と繋がること」で、どうせ繋がるなら自分の白血病の体験を話して、今病気と闘っている子どもさんやその親御さん、それから成人した患者さんたちに役立ててもらえたらっていう思いからでした。

だから抗がん剤治療を受けている時に「今、治療が始まって何日目」とか「しんどい」とかいうことではなく、しんどいこともあるけどそれを明るく笑ってやり過ごそうみたいなことを発信したいと。

病院の規約にはYouTube禁止とかは書かれてなかったけど、一応、主治医の先生にはお伝えしていました。
撮ってる時に看護師さんが来たこともあったみたいですけど、そこは編集して…。

その時の高知の病院では特に注意は受けませんでした。

YouTube禁止

岡山に行った時も主治医の先生にお伝えしてしばらくは撮っていました。

でも「前のハプロ移植を受けて」の時にも書きましたけど、ある時に病院の事務長さんがやって来て「YouTubeの配信とかされたら困ります」って言われて。息子の動画を見て「いろいろ配慮されて撮られてますよね。点滴とか、病状の説明とか使っているお薬のことなんかを写されてる訳でもなくて。でも、病室が映った時点でダメなんです。研修でよそから来られた人とかが動画撮られてたら、その場で消してもらいます。ただ、本当にすごく意義のあることをされてるので、今までのこちらで撮られた動画を消してくださいとは言いません」って。

何度か話に来られて、最後に来た時には「どうしてもって言われるなら病院を移ることを考えてもらわないといけなくなります」とまで言われて。そこまで言われると続けることが出来なくなりました。

その後、主治医の先生を始め看護師さんやたくさんの方たちにお世話になって、高知の病院に戻ることが出来ました。

それから1週間ぐらい様子を見て、家に帰って来ました。そこから本格的にYouTube活動のスタートです。おばあちゃん家にパソコンやら動画を撮るための道具を持って通っていました。でも残念なことに4ヶ月で再発して…。

高知の病院でも禁止

それから高知の病院に入院して臍帯血移植を受けることになりました。
入院後、またYouTubeを撮っていたのですが、その時に急に問題になって。師長さんが来て「今、病院の上の人たちが協議しています。動画を撮るのは少し待ってください」って言われて。

主治医の先生や看護師さん、それからその師長さんも息子のYouTubeは見ていて「素晴らしいことをしているからなんとか続けさせてあげたい」って言われてましたが、その時もやっぱり無理です言われて。
ここでも病室が映ったらダメってことでした。病室を映さずに息子の姿だけ映して後をモザイクをかけてくれたら大丈夫とは言われたんですけど。

やっと分かった、病院の事情

ずいぶん後で閉塞性細気管支炎になった時にお世話になった呼吸器外科の先生が「いや、僕は動画とか上げてもらって全然大丈夫なんだけど、病院がね。やっぱりそういうの見ると電話がじゃんじゃん鳴るみたいで」って言われて。
考えてみると閉塞性細気管支炎とか白血病で治療法が無いって言われてる患者さんやそのご家族とかが見ると、ちょっとでも可能性があるならって電話する方もいるだろうなと。
でもハプロの時もそうだったんですけど、長く診てきてくれたからこそその治療法に行きついたわけで、誰でもそれが適応になるわけではではないと。
それを聞いて「あー、そうだったんだ。なるほどね」って息子と納得しました。

今まで頭ごなしに「YouTube、撮ったらダメです!」って言われてきたけど、そういう理由があったのかと。それならそうと言ってくれればいいのにって後から話したことです。

息子の生きがい

息子が亡くなった後で、岡山で息子がお世話になった看護師さんに息子の本を送ったらお手紙が来ました。「本を読んだ後、目の前の患者さんにちゃんと向き合えているかと考えるようになりました。とても多くのことを学ばせて頂けた本でした」と書かれていました。
病棟でのYouTubeのことについても書かれていて「お父様があの子の生きがいなんだと言われた言葉が今になって腑に落ちたというか、納得しました」って言われていて。

夫が病院に呼び出されて話したことは聞いていましたが「息子の生きがい」っていうところには私は「そうだっけ?」っていう思いでした。

でも高知に戻って入退院を繰り返している時に家で動画を撮るための防音室を作ったり、YouTubeの生放送をして視聴者さんと直接お話ししたり、寄せられたコメントを見て嬉しそうにしていたり。そこでは当初の目的どおり世間と繋がっていました。

亡くなる前の入院の時に「唯一の趣味まで取り上げられて…」って悔しそうに話していたのを覚えています。

そう考えるとやっぱり生きがいだったんでしょうね。

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