閉塞性細気管支炎と肺移植のこと
移植の慢性GVHDである閉塞性細気管支炎が発症してからしばらくは症状がひどくなるわけでもなく落ち着いていたので、リハビリにも通い、病院にも車いすを使わずに行っていました。歯科を家の近くの病院に変えて、そこにも自分で歩いて行くようにしていました。
それから半年ぐらいして急に気胸が酷くなったので入院し、肺にドレーンを入れて空気を抜く処置をすることになりました。先生から説明があるって呼ばれた時に夫と2人で行くことにしたら、息子に「命の危険があるわけじゃないし、大袈裟やろ」って言われました。
胸膜癒着術
その時に胸膜癒着術という処置の説明がありました。肺に入れているドレーンからお薬を入れて人工的に炎症を起こして肺と胸壁を癒着させてそれ以上気胸が進まないようにする方法です。
ただ、入れるお薬が何種類かあって、当然ながら強いお薬だと炎症が強くて痛みがすごくありますけど、そのぶんしっかりと癒着します。でも、今後肺移植も視野に入れているので、あまり強くくっつくと剥がすことが出来なくなるって言われて。
なので、その次ぐらいに強いお薬を使うことになりました。でもそうなるとくっつき具合が不安ですよね。
まあそんなことを言っても、先生にお任せするしかないわけですが。私たちはとりあえずくっついて、気胸が少しでも良くなるよう祈るしかありませんでした。
コロナ真っ只中の入院
その時の入院はコロナ真っ盛りの頃で病室にはもちろん行けなくて、会うためには患者本人がラウンジまで歩いて出て来なければなりませんでした。ただ、ドレーンを入れて癒着術をやっているので、1人で歩いて出てくるのは到底無理な話でした。
なのでこの時の連絡はだいたいLINEでしていましたが、今、見返すと差し入れの話ばかりです。「明日〇〇が食べたいき持って来て」とか「お茶が無くなった」とか「コーヒー飲みたい」とか。持って行った差し入れは看護師さんに渡して空の容器を持って帰る、みたいな。
この時は10日ぐらいの入院でした。
でも、前の「患者、面会…」の時も書きましたけど不安感が半端なくて。会えない、顔が見えない、ましてや今までやったことのない治療です。不安しかありませんでした。
肺移植のこと
癒着術が上手くいき、退院後、しばらくは調子が良かったんですけど、2ヶ月ぐらいして今度は両方の肺が気胸になって。わりとひどい状態になってまた入院。もう一度、今度は少しきつい薬で癒着術をすることになりました。
この入院の時、娘と差し入れを持って行った時に先生に呼び止められて移植の話がありました。
肺移植は2人の健康なドナーから提供された肺の一部ずつを移植します。ドナーになるにも条件があって、65歳未満であるとか3親等以内の血族であること、喫煙歴、肺疾患がないとか、精神的にも肉体的にも健康であることなど。
うちの場合は、夫と私、娘がドナーになり得るのですが、ただ、先生は娘に関してはちょっと後ろ向きで。
肺は切ったらその分だけ小さくなり再生することはなく、肺活量は20〜25%ぐらいは下がるそうです。それにやっぱり移植をすると大きな傷が残るからって。
「でもこのことは今はまだ蔵之介君には伝えずにいましょう」って言われました。「これでもし肺移植が出来ないってなった時に蔵之介君がものすごく落ち込むだろうから、そうなった時が心配です」って言われてて。
娘とはそのあと肺移植のことを話したんですが、娘は「私は別にドナーになってもえいで。傷ぐらいどうってことないやん。それよりお兄ちゃんが治ることが大事やろ」って言ってくれて。そんなふうに言ってくれてどれだけ心強かったことか分かりません。
娘が小さい時に骨髄移植のドナーになってくれたから、中学生、高校生、大学生の息子に会うことが出来ました。
肺移植の適応条件
退院前に病院に呼ばれて、看護師長さんや看護師さんと肺移植のことを話しました。息子が移植をやってもらおうとしていた病院は京都の大学病院です。
でも、そこの病院の倫理委員会では造血幹細胞移植を受けた患者への肺移植は、移植を受けてから最低でも3年は経っていないと移植を受けることが出来ないという決まりがありました。再発の恐れがあるし、免疫抑制剤も使うから、最悪、移植の途中で再発してしまうかもしれない。そんな危険を冒してまで移植をするかっていうと、なかなかそこまでは踏み込んで出来ないですよね。
息子はその時点で臍帯血移植から2年と3ヶ月経っていました。移植が出来るようになるまであと9ヶ月あります。
師長さんたちの重苦しい空気の中、私は「でも、あとたった9ヶ月ですよね。今まで17年近く苦しんだのを考えるとあっという間ですよね」って自分に言い聞かせるように笑って答えてました。そうやってとりあえず笑ってないとだめな気がして。だって息子は私たち以上に不安な思いを抱えているのだから。
退院後の生活
でもだんだんと入院期間は長くなり、2週間だったのが1ヶ月になり。退院しても1週間ぐらいしてすぐ入院したり。それでも合間を縫って通院し、リハビリ行ったり歯医者に行ったりと割と忙しく過ごしていました。
歯医者には最初は1人で歩いて行っていましたけど、ある時から行けなくなって。
歯医者は家から歩いて5分ぐらいのところにあります。それが途中で何回も休憩しないと行けないって言って。それだけ肺が苦しくなっていたんでしょうね。結局、車で2分ぐらいの距離を送り迎えしていました。
家に居たら居たで通院に忙しいし、入院したらしたで差し入れを持って行くのが忙しい。
それでもそうやってずっと関われたのは今となっては良い思い出です。