病気への向き合い方〜息子(白血病児)の場合〜
前に書いた病気への向き合い方〜それぞれの方法〜では、息子のことを書いてなかったなと思って。
息子は息子本人を知る人や、YouTuber「にゅーいん」として知られている人たちによく言われましたが、病気のことを悲観せず、常に前向きでした。
それがどうしてかなと思っていたのですが、この前、病気への向き合い方を書いたあと、気づいて…。
入院中、私はとりあえず明るく楽しく過ごしていたのですが、2日に1回、夜泊まりに来る夫は、いつも難しい顔をして、なんかよく分からない分厚い本を読んだり、パソコンとにらめっこしていたそうです。たいして話もしなかったみたいです。
対して、私が行った時は、病気に関する不安を感じさせないぐらい普通に、家と同じように楽しく笑って過ごしていました。
最初のうちはすごく混乱していたと思います。お父さんはいっつも難しい顔をしてるけど僕、大丈夫ながやろか、でもお母さんはいっつもめっちゃ明るいし…って。
でも、たぶんそのうちに「なんか大変な病気らしいけど、そこで悩んでもしょうがないがや。普通に楽しく過ごしよったらえいがやろ」って彼なりに理解したんではないでしょうか。
だから大人になってYouTubeを発信する時にも、妙に達観してるような、病気のことを俯瞰的に見て、なったもんはしょうがないっていうスタンスでいられたんじゃないかなと思います。
小さい時に私たち夫婦が2人とも夫のように難しい顔をしていたら「あー、なんか分からんけどもう無理かも」って思ったかもしれないし、私みたいに楽観的過ぎたら、病気のことが分からなかっただろうし。
そういう意味では、違った2人をずっと見て来たからこそ養えた感覚だったかもしれません。
ハプロ移植
大人になって再発した時に、ハプロ移植か臍帯血移植か考える時がありました。
ハプロ移植は少し前から新しく始まった移植方法でした。
普通の骨髄移植ではHLA(白血球の型のことです。よくいうA、B、O、ABは赤血球の型です)が完全一致でないと受けられません。子どもは親のHLAを半分ずつ受け継ぐことになります。だから最初から息子と私たち夫婦は、半分ずつしかHLAが合ってないんです。でもハプロ移植はHLA半合致移植といって、HLAが半分だけ合っていれば移植が出来るようになりました。なので今回の移植では、半分だけ合っている夫や私がドナーになることが出来るんです。
ただ、HLAが異なることで拒絶反応やGVHDが強く起こります。
もう一つの臍帯血移植は骨髄移植とは違ってHLAが全て一致しなくてもよいことと、お産の時に本来は捨てる臍帯血を使うので、その場合、お母さんや赤ちゃんへの負担はありません。ただ、感染症の合併が多いことや生着不全(移植したのに造血出来ないこと)が他の移植に比べて多いというデメリットがあります。当初から比べると良くはなって来ているものの、それでも3年後の生存率は50%を切っている状態でした。
病院の先生の説明で、臍帯血移植では再発の危険性が高いと判断し、ハプロ移植の方が良いのではないかというお話がありました。
ハプロ移植は高知の病院で受けることが出来なかったので、岡山の大学病院に話を聞きに行きました。
岡山の病院に行った後、息子と話をしてその道のプロの先生たちが何日もかけて話し合った上で提案してくれるのであればそれを受け入れようと。「自分たちが口出しできるもんは何にもないやんね」って話したことを覚えています。
自分で全部…
子どもの時は、治療のリスクだったり、この薬が効かなかったらとか、そういったことは全てまず親である私たちに話があったのですが、大人になってからの再発の時は、本人にはっきりと伝えられていました。あまりにもはっきりと言われるので、それはどうかと思ったこともありましたけど、息子が「自分のことやき、全部言うてくれんと困る、ちゃんと知っちょかんと」って言って、全部聞いていました。そうやって全部聞いた上で乗り越えて行っていました。
いやー、なかなか出来ないと思います。
息子のYouTubeの「もう最後かもしれない」の時は移植直前で、移植のあと、GVHDや合併症で亡くなってもおかしくない状態だったから普通だったら動画なんて撮る余裕は全然ないと思いますけど撮っていたし。
再発が分かった時も、入院が決まった時も「なんで〜?どうして〜?」ではなく「あ、分かった。抗がん剤治療、受けたらえいがやろ」ってこともなげに言っていたし。そうやってありのままを受け止めて、普段通り楽しく過ごしていました。
息子に将来の夢について聞いてみたことがあります。その時に「こんな状態で先のことまで考えれるわけないやんか。それよりも今を楽しくせんと」って言われました。
それはその通りで、実際、息子はその時、その時を文字通り楽しく生きていました。