白血病、再発〜久しぶりの入院
医療センターへ入院して次の日からどこへの再発かとか何の抗がん剤を使うのかが確定するまではステロイドを使うことになりました。
造影MRIやCTで異常が見られ、生検すると髄外再発が分かりました。本人が「ちょっと風邪気味。鼻づまりがある」って言ってたけど、そこに再発してたんですね。
それから本格的な抗がん剤治療が始まりました。
治療が始まると、抗がん剤の副作用で40℃越えの熱が何日も続いたり、吐き気が強くてガーグルベースを肌身離さず持っていたり、頭痛がひどくて起き上がれないなどいろんな症状が出て来ます。そのたびに「大丈夫?」って聞いていたら「前もこんなんやったやん。忘れたが?」ってすごく冷静に言われました。
前回の再発から7年経っていたし、7年前の時はほぼほぼ病院に任せていて、そんなにずっと一緒に居なかったから、私の記憶としては13年前まで遡るわけです。それは忘れてもいるでしょう。
信頼関係の構築
今回の入院は高知医療センターで、今までお世話になっていた大学病院とは大まかなところは変わらないけど、少しは勝手が違っています。またこれまでは再発で入院してもこちらのことを分かってくれていて看護師さんも知ってる顔がたくさんいたので、安心してお任せ出来ていました。
実際、小学6年生の時の再発の時は大学病院でしたが、その時は泊まりもなく、1日のうちに差し入れを持って行って何時間かそこで一緒に過ごすぐらいでそこまで不安は感じませんでした。
看護師さんの力って大きいですよね。
病院に入院する時に1番お世話になるのはやっぱり看護師さんで、その人とどれだけ信頼関係を築くことが出来るかで安心して入院出来るかが決まってしまうので。
そういう意味では大学病院では信頼関係が築けていたと思います。入院が決まるたび「お久しぶりで〜す。またお世話になりま〜す」って戻って行ってたし。
医療センターに入院した時に大学病院でお世話になった看護師さんがお見舞いに来てくれました。そこの病院の看護師ではないけれど、顔を見た瞬間、ものすごく安心したのを覚えています。
それは主治医の先生も同じです。大学病院の時の主治医の先生方お2人がわざわざ医療センターに来てくれた時はすごく安心しました。治療に関するいろんなことを質問したりして。
その時はまだ医療センターの主治医の先生や看護師さんたちとは信頼関係を築くべく相手を探っている状態でした。「この先生(看護師さん)はどんな人だろう」とか「話しやすいかな、小難しい人かな」とか。医療従事者と患者という立場ですけど対人間だから、入院で、それも入院期間が長いものなので、少しでもそこに居りやすい環境にするのが大事かなと。私がよく書いてある「日常をそこへ持って行く」っていうことですよね。
息子の主治医の先生が、いろいろとはっきり言う方で、「そんなことまで言わんで良くない?」っていうことまで言われてすごく凹んでたことがありました。
内科と小児科の違いなんでしょうね。今まではとりあえず親に病状説明があったし、本人に言うにしても少しオブラートに包んだ感じだったのが、「この薬合わなかったらもうお薬ありません」とか3度目の臍帯血移植の時も「合併症で長期生存率が10%未満です」とか割と平気で言われてたし。移植のあと「今、再発してもおかしくないし、もし再発しても4度目の移植っていうのは聞いたことないな。どこの施設でもやってくれんのじゃないかな」とまで言われました。
「そんなにしんどかったら病院変わる?」って聞いたんですが「いやー、でも今から病院変わったら、先生との関係も新しく作り上げんといかんき、それはしんどい。それやったらちょっとぐらいしんどくっても我慢した方がまし」って言ってました。
確かに。ただでさえ治療中でしんどいのに、今から新しい病院に移って、紹介状があるとはいえ一から診察や検査を受けて、そこの先生や看護師さんと新しい関係性を築いていくのもなかなかしんどいよなと思いました。でも、それにしても…とは思いましたけど。
誰かと過ごす
日常をそこへ持って行くっていう点では、今回は娘が大きくなっていて(18歳でした)すごく助かりました。
私は毎日夕方顔を見に行っていましたけど、娘には朝から差し入れを持って行って、ゲームしたりどうでもいい話をしたりして、何時間か一緒にいてもらって。必要以上に病気扱いするではなく、本当に家にいる時と同じように過ごしてくれたから。息子も20歳になって、やっぱりいつまでも親がべったりと言うわけにもいかず、その点、妹だと年齢も近いし良い距離感で居られたと思います。
それに、きっと待ってたんでしょうね。娘が行けない時は「えー?あいつ、来んが?」って聞いていたので。
何度か書いてますけど病院って暇なので、長い1日、そうやって誰かと一緒に過ごす時間があれば少しでも気が紛れるから。
私たちが帰った後はまた1人で抗がん剤治療の辛さとかと向き合わないといけないので。
そういう意味では娘が居てくれて良かったです。
入院当初は息子と「なんか、久しぶりやね、この感じ」「ちょっと懐かしいね」って笑いながら話していました。これから続く長い長い白血病治療のことなんか考えてもいませんでした。