最初の発症から骨髄移植の時の副作用(GVHD)

前回は最初の発症から骨髄移植の時のことを書いたので、今回はその副作用(GVHD)で特に大変だったことを書きます。
表現的にあまり綺麗じゃないところや痛いところもあるのでどうしようかなとは思ったのですが、大人になっての再発から後のことも考えると、これ抜きには語れないなと思って。食事の途中の方とかは読まない方がいいと思います。

抗がん剤治療の時は40℃越えの高熱が何日も続くとか、吐き気が止まらなくて一日中ベッドでガーグルベース(病院でよく見かけるピンクのうがい受けのことですね)を抱えてたりっていうのは当たり前のことでした。

骨髄移植後はGrade4のGVHD(皮膚、消化管がステージ4とかでした)が発症して、そのまま慢性GVHDに移行したのですが…。

CVカテーテル

これはGVHDと直接関係はないのですが、治療中、長い期間点滴をしないといけなかったから普通に腕からすると血管がすぐダメになってしまうのでCVカテーテルを入れていました。腕からだと液漏れして腫れたりするので、週に1度、早い時には2〜3日で点滴を入れ替えなくてはならなくて、更に点滴をしている手は固定されてて動かすことが出来ません。なのでお箸や鉛筆は利き手に点滴をしていると使えなくなります。

それに血管がどんどんダメになっていくので、新しい血管を探すのが難しくて。何度も何度も針を刺してはやり直すみたいなこともあって、一回で見つけられた先生はまさしく神のような存在でした。
逆になかなか見つけられない先生に当たった時は「あの先生、嫌!注射が下手やもん!」って処置室で大泣きしたこともあります。その先生はすごすごと退散して、別の先生に交代してもらってました。

CVを入れてからはそういったトラブルはなかったので割と快適に過ごしていました。ただそこからばい菌が感染したら困るので2〜3日に一回は消毒をするのですが、場所が鎖骨のところや足の付け根とか、肌の中でも特にデリケートな部分。ずれないようにガッチリとテープで固定してあるので剥がす時が痛くて。ただでさえ肌は強くなかったからテープを剥がすたびにむけてしまって赤身が…、っていうこともたびたびありました。


下痢&皮膚の状態

移植後1ヶ月ぐらい経った頃、ご飯をやっと食べ始めたぐらいの時に、本人がウインナーが食べたいって言ったので先生に許可をもらって食べさせました。あまりにも喜んで食べるので調子に乗って何本も食べさせてしまったんです。そうするとそれが引き金になって下痢が始まって。毎日2リットルぐらいの量がでていました。意識するしないに関わらず出てしまうのでもちろんオムツは必須です。それからしばらくのあいだ絶食を余儀なくされたのはいうまでもありません。本人が大人になってからも「あの時お母さんがウインナー食べさせたき…」ってずっと言ってました。

それから皮膚の状態がグレード4って言われていて、移植前は真っ白だった肌の色が移植後には真っ黒になって。いや、本当に真っ黒だったんです。お見舞いに来たおじいちゃんが言葉を失ったほどでした。黒いだけならまだ良かったんですが、それが水疱になって。ちょっと重症の火傷みたいな感じですね。放っておいても潰れて汁が出るんですが痒くて掻いてしまうとずる剥けになって、みたいなことはよくありました。

出血性膀胱炎

それと血尿もありました。おしっこの量を測らないといけないので検尿カップに取っていたんですけど、ある時から絵の具を溶かしたような真っ赤なおしっこが出始めて。先で固まってしまったら大変なので尿道カテーテルを入れようという話になったのですが、子どもなので入らなくて。何度か試したんですが無理でした。本人はかなり痛がってましたけど。

でもそうするとしばらくしたら案の定、先で固まっておしっこが出なくなってしまって。何日か高熱が続いたあと、おしっこに血の固まりが混ざって出始めました。固まりが混ざっているので、いろんなところに飛び散ってトイレが壁まで血まみれになっていました。まるでスプラッター映画のようでした。

痙攣発作・意識障害

もう一つ、忘れられないことがあります。
ある日、病室で息子と遊んでいたら突然痙攣発作を起こして。急いで看護師さんを呼ぶとすぐに「お母さんは外に出てください!」って言われて。部屋から出されたあと先生たちが入って行って、ほっぺたを叩いて呼びかけても返事をしません。部屋にベッドサイドモニターを入れられて。テレビドラマでよく見るやつですよね。何人もの医師や看護師さんがナースステーションと病室をバタバタと行ったり来たりしているのを眺めながら「なんであそこにいるのがうちの息子なんだろう。なんで私は何にも出来ずここにいるんだろう」って呆然と立ち尽くしていました。あの時は本当に終わったと思いました。夫や義母、実家の両親に電話して「もう来んでよくなったよ、蔵之介、死んだし」って言ったのを覚えています。いや、死んでなかったんですけどね。

その時の主治医の先生は朝早くから夜中までいつ見ても病棟にいて、看護師さんたちに「あの先生、いつ家に帰りゆうがやろう?」って言われるほど病院に詰めて下さっていました。

別の先生の話ですけど、朝早くから夜遅くまでずっと病院にいて、そのあいだ子どもさんになかなか会えなくて、たまに会えると「おじさん、誰?」って言われたって言ってました。

でもそうやって信頼出来る先生がいつでもそこに居てくれてる、何かあった時はすぐ来てくれるから大丈夫って思えるのは、ギリギリのところを渡っていってた私たちにとってはすごく心強かったです。

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