白血病、やっぱり出てきた慢性GVHD

「白血病、最後の治療1」で書いたことと少し被る内容ですけど、もう少し詳しく書かせてもらいますね。

臍帯血移植を受けてからしばらくは大きなGVHDも出ず普通に暮らしていました。
体力的には弱弱でしたが、それでも娘や友達と一緒に映画に行ったりジェラートを食べに行ったり、時々はテレビの取材も受けて。

ハプロ移植を受けた後もそうでしたけど、その時以上に精力的に動こうとしていました。

でも、やっぱり大学に行ってた時よりは体力も落ちて全然動けなくなっていたから、本人にするとものすごく歯痒かったと思います。私たちには絶対言いませんでしたけど。

通院は最初は2週間に一度、それから少しずつ間を開けていって。3週間に一度になり、1ヶ月に一度になり。最初のうちこそ体力がなく、病院でもふらふらになりながら検査室からレントゲン室、診察室まで歩いて行ってましたけど、だんだん足取りもしっかりして来て。それでも先生には「歩いて来られるのが奇跡です」って言われてました。
血液検査では白血球の数が1万越えは普通にあったし、岡山の再発の時には2万で再発だったから心配はしましたけど様子見で。「大丈夫なんですか?」って聞いても「分かりません。でも他の異常はないので様子をみるしかないですね」とか言われて。私たちとしては先生の言葉を信じるしかなかったです。

閉塞性細気管支炎ってなに?

そうやって1年と半年が過ぎた頃、レントゲンで肺の気胸が分かりました。先生に「すみません。気胸が見つかりました」って言われて、急遽呼吸器内科にかかることになりました。

その頃に肺活量を調べる検査をしたのですが、上手く測れなくて。先生に「移植した時に肺年齢が75歳ぐらいだったのが、今は95歳になってるね」って言われて。息子は「23歳の皮を被ったおじいちゃんやね」って笑いながら言ってました。

呼吸器内科で先生がレントゲン写真を見て「いやー、やっかいな病気かもしれません」って言うので詳しく聞くと「BOみたいです」って。何のことか分からなかったので「何のことですか?」って聞くと「閉塞性細気管支炎のことです」って言われました。
そう言われてもよく分からなかったから2人で「え?何ですか?」って聞き直しましたが呼吸器内科の先生はちょっと不親切だったので「詳しいことはネットで探せば出て来ます」って言って。
「ただ、病気を確定するには生検が必要で、それをするには胸を開いて肺の一部の細胞を取らないといけません。でもそれは移植後の身体にはあまりにもリスクが大きいからやめておきます。もしそうなら治療法はなくて気胸を繰り返して5年後ぐらいには死にます。唯一の治療法としては肺移植しかないですね」ってものすごくあっさりと言われました。

その頃は少しの息切れはあるものの本人の感覚としてはそこまでしんどいわけでもなかったから診察が終わった後、2人で「5年後ぐらいには死ぬやって。そんなわけないやん」って笑ったことでした。

後でネットで調べると、閉塞性細気管支炎は骨髄移植などからの慢性GVHDによる肺障害で、難病指定の病気ではあるものの移植後発症の場合は除外されていました。

リハビリに通う

肺移植となると体力がないとその資格も与えてもらえません。その頃は家であまり動くこともせずだらだらと過ごしていたので「やっぱりリハビリに行って少しでも体力つけんといかんね。先生に相談してみよう」って話しました。

息子の通っていた病院は入院中はリハビリの先生が毎日来て、その時出来る運動を考えてやってくれるのですが、外来患者には対応してくれません。なので家の近くの病院を紹介してもらってそこに通うことになりました。週に2〜3回、通院のある時は休んで。

病院でのリハビリは、移植後すぐということもあって出来ることを無理のない程度に少しずつ、本当にゆるゆるにしかやらなかったから、そんなふうにちゃんとリハビリを受けるために病院に通うとかは初めてのことでした。

そこで先生に「歩くためにはこの筋肉を鍛えた方がいい」とか「この動作をするためにはこの筋肉が必要」とかを聞いたみたいで、筋肉の勉強なんかしたことないから面白いって言ってました。でも最初の何回かは筋肉痛になっていましたね。そうしてるうちに、初めて行った時にはまっすぐ歩くのも怪しくて左右にふらふらしている状態だったのが少しずつ体幹を取り戻して足取りもしっかりしてきました。

リハビリの先生は年齢が息子より少しだけ上の方だったからリハビリ以外の話もいろいろしていたみたいです。
最初は一緒について行っていたのですが、途中から「お母さん、送り迎えだけでいいき」って言われて。心配もあったのですが病院だし、親の目を離れて家族ではない第3者の人と話をするっていうことは大事だなと思ってついて行くのを止めました。
週に2〜3回、良い気分転換になっていたと思います。

自分だけの城

親(家族)の目を離れてっていう意味では防音室が出来たのは大きいですね。何度も書いてますけど、息子の部屋はリビングの続きの襖を隔てた和室。普段は襖は開けっぱなしでプライバシーもへったくれもない完全オープンの部屋でした。誰かがリビングに来ると部屋の様子はまる見え、何をやっているかも全部分かるところでした。
それが初めて完全個室、誰にも邪魔されない自分だけの城が出来たのでものすごく喜んでましたね。パソコン用の机や椅子も買って自分が過ごしやすいように部屋の中を整えて、用事もないのに部屋に籠ってみたりして。
それでも多少なりとも音は漏れるので、それを解消するために自分で遮音シートや吸音シートを買って押し入れや壁に貼り付けていました。

その部屋は今、私がこんなふうにnoteを書いたり楽譜を書いたりするのに使ってますけど。

いいなと思ったら応援しよう!