白血病、最初の骨髄移植から退院までの道のり
骨髄移植後、退院までかかる日数は人それぞれですけど、だいたい2〜4ヶ月ぐらいとされています。
うちの場合、最初の骨髄移植を受けた後、下痢や皮膚の急性GVHDがひどくなり、それがそのまま慢性GVHDに移行したので、なかなか退院することにはなりませんでした。
点滴もなかなか外れることはなく、1番多い時は、点滴棒に点滴が12個ぶら下がっていました。その時の日記を見てみると「今日、点滴が1個外れた!」とか書いています。よっぽど嬉しかったんでしょうね。
馬の血清…
その時に使ったお薬(点滴)の中に「馬の血清」っていうのがありました。最初、それを聞いた時「え?そんなん使って大丈夫?馬になるんじゃないの?」とか思ったのを覚えています。馬になるわけないのに。
今では血清療法はいろんな動物で行われており、新千円札の北里柴三郎博士はその第一人者です。
さくらが2人に…
移植の時も似たようなことを思いました。娘の骨髄を使うってなった時「え?じゃあ、さくらが2人になるが?」って。そんなわけないのに。
ちょっと考えれば分かることなのに、あの時は完全にテンパってしまってて何も考えられなくなっていました。無知って恐ろしいですよね。
その後の血液検査の時に先生に「上等!血(染色体)がXX(男性はXYです)、さくらちゃんになってます」って言われて納得しました。あ、そういうことね。血は変わっても蔵之介は蔵之介のままなのねって。骨髄移植としては、さくらの骨髄を移植したので、染色体がXXになってて大成功でした。
今では心臓移植に豚の心臓が使われるなど異種移植も増えてきているし、いろんなお薬も開発されています。骨髄移植のこともインターネットで調べたり出来るようになっているけど、あの頃はそんなふうに調べることもしなかったし出来なかったから。よく分からない未知の病気のこと、薬のことを知るにはお医者さんや看護師さん、薬剤師さんからしか知ることが出来ませんでした。
ベキッて音が…
それから背骨の圧迫骨折もありました。
息子が言うには、おばあちゃんが泊まりに来ていた時に「軽い運動はせんといかん」って言われて一緒にラジオ体操をしたらしいんです。
ただでさえ入院中で動かないから子どもとはいえ弱って筋肉が無くなっているし、骨髄移植後で骨も弱くなっているにも関わらず。その時に「ベキッて音がした!」って言ってて。整形外科に行って診察してもらうと案の定「2〜3箇所折れてます」って言われました。それからハードなコルセットをずっと使ってました。
髄外再発
移植後半年した頃に、病室で息子と遊んでいた時、目頭にめぼう(方言ですね。一般的にはものもらいって言うと思います)が出来たのに気づいて。その時来ていたインターンの先生に言ったのですが、県外の方だったので言葉の意味が分からなかったみたいで「そんなのはないです」って言われました。とりあえず様子見でって言われたので、文字通り見ていたら目頭が日に日にどんどん大きくなって。「絶対おかしいよね」って言って調べて頂くと、早期の髄外再発ということが分かりました。
髄外再発はけっこうたくさんあって、両肺や睾丸、両方の大腿骨や左下顎とか右上眼瞼などなど。
放射線治療のこと
放射線治療もけっこう受けていて、退院する時に先生から「人間の体に当てられるめいいっぱいの量を当てています。これ以上は無理です」って言われていました。
その放射線治療は毎日少しずつ放射線を当てていくのですが、照射中に動いてはいけないので固定シェル(プラスチック製の網タイプの目出し帽のようなもの)で頭を固定することになります。息子はそれが、よく見ていた戦隊モノのヒーローの被り物のようでちょっと嬉しかったみたいです。治療が終わった後も「捨てずに置いといて」って言って、しばらくテレビの上に飾ってました。
それから放射線治療の時に「子どもさんなので緊張したらいけないので、何か本人さんの好きな曲を教えて頂いたらこちらに来る時に流します」って言われて「どうする?」って聞くと、その頃大好きでよく見ていたウルトラマンの主題歌を言って。毎朝、病院の診察の始まる前、まだ病院が静かな時間に放射線科に行くと大音量でその曲が流れていました。「今日もかかっちゅうろうかね」とか言いながら、毎朝、行くのを楽しみにしていました。ヒーローの仲間入りが出来た感じがしたんでしょうかね。
途中で一応退院はしたものの次の定期治療の時に再発が分かって入院っていうのもあったので、最終的にきちんと退院して訪問学級の先生が来てくれるようになったのは、小学3年生の3学期のことでした。最初の入院から5年が経っていました。骨髄移植からはまるまる2年経っていました。
再発して入院が決まっても本人にとっては長期入院の経験者なので、まるで自分の家に帰るかのよう。
「え〜?また入院?」ではなく、「ただいま〜。またお世話になりま〜す」っていうぐらいの軽い気持ちで入退院を繰り返していました。
そんな息子が一度だけ、まだ入院したばかりの頃にお正月に家に帰った時に言ったことがあります。
ずっとお友達にも会えなくて、毎日毎日、治療に明け暮れていたのから開放されて、すごくはしゃいで、次の日には足も立たなくなるほど楽しく過ごした後、病院に戻る車の中で言いました。「やっぱりあんまり帰りたくない…」って。普段からそんなに「しんどい」とか「もう嫌、やりたくない」とか言ったことはなくて、どちらかというとお利口な患者だった息子が初めて見せた本音の部分だったんでしょうね。あの時はそれを聞いてすごく悲しくなりました。