白血病児の大学生活

大学には病気のことを何も言わずに入学していました。でも通院のこととか、他にも何かあった時に「連絡してなかった」とか「聞いてなかった」とかいうことがあっては困ると思って、どうしたものかいろいろ調べていました。そうすると大学にはコミュニケーション支援課という課があり、修学するにあたり、障がいのある生徒や、病気やケガなどによる一時的に支援が必要な生徒への合理的配慮をして頂けるということが分かりました。

保護者面談


4月の終わり頃、学校に連絡をして、その支援課の先生とチューターの先生(担任の先生みたいな感じですね)にお会いして来ました。大学には病気のことを一切言ってなかったので、先生たちはものすごく驚いていました。
息子は授業も普通に受けていたし、今のところそんなに配慮をお願いすることもなかったので、よけいに驚かせたと思います。
一つだけ、息子の行った学部は教育学部だったので「次の年からは教育実習に行かないといけないのですが、大丈夫ですか?」って聞かれて。確かに教育学部なので当たり前のことですけど、今まで目先のことをこなすだけでいっぱいいっぱいだった私たちは、完全に失念していました。ただ教育実習は体力的にも難しいかなと思ったので、言葉を濁すばかりでした。

その時のコミュニケーション支援課の先生とお話ししていて「お母さん、よく1人で県外に出そうと思ったね」って言われました。その時に私は「いつまでも親はいないものなので、居なくなった時、本当に1人立ちしないといけない時にちゃんと立てるよう、今から準備していってもらいたい。今なら自分たちも助けることが出来るから。早い段階で失敗してもやり直すことは出来るから」って答えました。先生には「お母さん、強いね」って言ってもらえました。

大人社会への準備期間

やっぱり高校までとは違って、大学が終わると否が応でも社会人になるわけで、それって何をやっても許される(何でもかんでもではありませんが)子どもとは全然違うわけで。
うちの場合は入院期間が長くて、子どもといえどその社会に馴染むことは難しくて苦労していたので、大人の社会に出るまでに少しでもその練習期間が長い方がいいのかなと。

大人の社会に出た時って、年齢ももちろんバラバラで、病気のことが分からずに理不尽なことを言ってくる人も絶対いると思うから、そういうことがあってもそれに向かっていける、もしかしたら背を向けるのが正解かもしれないけど、そういったいろんなことに対処出来る、慣れることが出来ればいいなと思って。

地元で大学にっていうのももちろんありだと思うけど、それだと何かの時についつい手を出してしまうから、家から離れた、私たちがすぐに手を出すことが出来ないところでとりあえず全部1人でやってっていうのが大事なのかなと。もし本当にダメな時はいつでも辞めて帰ってくればいい、みたいな気持ちだったと思います。

大学を決める時、息子に「県外の大学」って言われた時はそこまでは考えてなかったと思うのですが、それから1年かけて息子といろんな話をしていくうちに、私の中でも腹を括ることが出来ました。

1人で家事をこなしながら大学へ行って、病院にも行ってっていうのは本人は簡単に出来るって思っていたようです。でもそれって思ってたより大変だったみたいで。家での手伝いは積極的にやってくれてたから、本人は割といけるかもと思ってたみたいですが「けっこう大変やった。何回か泣いた」って言ってました。

生活の足は自転車

通学はバスにしていたのですが、そのバスが毎日毎日えらく混んでいて。学校が山の上にあって同じ山にそこの大学の附属中学校、高校に、大学院まであるので。それにその山に登る手前に岡山大学もあるので、乗っている学生さんの多さといったら。私も何度か行きましたけど、いつ行ってもバスはいっぱいで、何台か待たないといけない時も。

なので、途中から自転車で通うようにしていました。でも、それこそ大学は山の上で「原チャリ泣かせの坂」って言われるぐらい坂がキツくて。「どうやって坂登ってるの?」って聞くと「山の下までは自転車乗って行くけど、あとは押して上がるかな。みんなそんな感じで。よっぽど体力のある人は立ち漕ぎで行ってるけど」って言ってました。
アルバイト先へも家から20分ぐらいかけて自転車で行って。

こちらに居る時は、病院に行く時も、高校の時もずっと朝は送って行ってたし、どこかへ行く時は必ずと言っていいほど私が車を出していたので、今までのことを考えるとすごい進歩です。体力的には少しずつ、気持ちの上では急に逞しくなっていった気がします。

病気のことは仲が良かったグループの友達にも話してなかったみたいです。1人だけ、1番仲が良かった友達だけには言ってたみたいですが。やっぱり病気のことを言っても白血病がどんな病気かは分からないだろうし、言ったことで変に気を使われても嫌、みたいな感じだったんでしょうね。
天気の良い日は公園でみんなでサッカーしたり、カラオケ行ったり夜更かしもして。

いつ電話しても楽しくてしょうがないっていう感じでした。何度か娘と遊びに行ったんですけど、その時もホテルまで自転車で来てくれて、普通に元気な大学生をしていました。

あの時、お父さんと喧嘩してでも県外の大学に行った(行かせた)甲斐がありました。

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